法華経を行じている「人」をたたえることは、「法」をたたえることに通じる。広宣流布に戦っている学会員は、大聖人のお使いであり、仏子である。その学会員をほめれば、自分が功徳を受ける。自分の仏界が強まる。相手をほめているようでいて、じつは、かえって、自分の仏界をも賛嘆しているのである。「自他不二」-自分も他人も一体の法理である。
信心には臆病は大敵である。見栄は大敵である。臆病や見栄の信心の人は、成仏はできない。難が起きたとき、いざというとき、勇敢に獅子王の心で進んでいくのが信心である。
一人一人が日々唱えている題目の声は、今や地球をつつむ。これだけ題目を唱え、弘め、広布を推進している学会員が地涌の菩薩でないとしたら、地涌の菩薩など、どこにも存在しないことになる。
大事なのは信心である。自分だけでなく、何十人、何百人、何千人もの人を幸福にするのだ、功徳を受けさせるのだ、人材に育てるのだという一念で、題目を唱え、行動することである。それだけの、信力、行力があれば、その分、偉大なる仏力、法力が、わが身に顕れないはずがない。