妙法を唱えれば、ちょうど篭の中の鳥が空とぶ鳥の鳴き声を聞いて外に出たく思うように、自身の仏性がその音声に触発されて、顕われてくるし、その姿に呼応して、梵天・帝釈、さらには三世十方の仏菩薩の仏性も発動してくるのです。すなわち、大宇宙の一切の事象が、その人を守護し、幸福へと働いてくるのです。
いかなる場合にも、法華経の勇者の行くところ、一切の環境がことごとく寂光土と輝いていくのです。具体的には、友人や接する人に守られたり、無生の事象にさえ支えられ、安穏なる人生を歩んでいけるのです。そして、試練に遭遇しても、かえってそれが成長の糧、飛躍台となるのです。
信心に輝く一念は、一切のものが、あたかも歓喜して迎えるがごとくに、諸天の加護の力に包まれるのです。
周囲を「諸天」に変えていける「こちら」になることが大事ですね。
私たちでも一生懸命に努力・精進している人をみると「何とかしてあげたい!」「助けてあげたい」と思うじゃない。
反対に「勝手にやってみたらー」と思いたくなるような例もあります。
一念の差は微妙、タッチの差、疑いや迷いの弱い信心であっては諸天が感応しない。
戸田先生は断言されました。
「題目で勝ちなさい。何があっても、あげきった題目の福運は厳然と残る。絶対に消えないのだ」