この妙法の功徳力はじつに広大無辺で、初信者でも、もう何年も前から真剣に信仰している人が享受する功徳を、同じように受けることができる。信仰年数、信力に関係なく、功徳というゴールに向かって、同じ希望のスタート台につくことができるといっていい。
テレビは、複雑な理論を知っている人もそうでない人も、同じ簡単な操作で、画像を見ることができる。それと同じく、初心の、仏法に無知の人でも、仏法に熟達した人でも、唱題祈念という同じ一行により、成仏できる。日蓮大聖人の仏法は、一切行の功徳をもっとも簡単な一行に収めている。
ただ、信心歴により、境涯、福運、宿業の軽重等に差ができるのは当然ですが。後位の人の方が初位に比べて、強い信心、発心に立ち易いことは事実でしょうが、同じ強い発心、信力に立てば、そこに初後の差はなく、ともに大功徳を受けられるということを、ここでお述べになっている。
まことに平等の仏法といわなくてはなりません。清らかな信心に生きる人が、この仏法における唯一の勝利者と知るべき。
信仰年数、信力に関係なく、功徳というゴールに向かって、同じ希望のスタート台につくことができるといっていい。
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