忘れ得ぬ瞬間

〈忘れ得ぬ瞬間 創立者の語らい〉第7回 2018年11月13日 創価大学・女子短大 1993年11月 創大祭・白鳥祭 青年の勇気が時代を開く

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創価大学・女子短大 1993年11月 創大祭・白鳥祭
青年の勇気が時代を開く
各国から集った留学生を真心込めて励ます池田先生ご夫妻(1993年11月、創大池田記念講堂で)

 開学の年(1971年)から始まった、創価大学伝統の「創大祭」は、今年で48回を数えた。88年からは、創価女子短大の白鳥祭と合同で、記念の「創価栄光の集い」を開催。創立者・池田先生は、折々に海外の来賓らと共に出席し、学生の熱演をたたえてきた。93年の集いでは、「この知性の祭典の姿自体が、皆さんの『勝利』を表している」と称賛。米・ハーバード大学の著名な経済学者ガルブレイス博士が指摘した「教養ある人」の条件を踏まえ、次のようにスピーチした。

ガルブレイス博士は「いわゆる『教養ある人(よく教育された人)』とは、どういう人をさすのか」との「ボストン・グローブ」紙のインタビューに答えて、次の2点をあげられている。
第一に、広い範囲にわたって、さまざまな文化にふれていかねばならない。そのためにも、語学が大切である――と。自国の文化だけにとらわれるのではなく、世界の文化を学び、吸収していく。これが教養の第一条件である。狭い自分をつねに超えていける人でなければならない。

諸君はあらゆる面で語学を身につけられる環境にある。あとは自分の努力である。

博士があげる、教養ある人の第二の条件――。それは、自分の専門分野を超えて、たとえば科学者であっても、哲学や道徳上の価値観をもち、政治や経済などについても、自分なりの立場をはっきりとさせていること。これが必要であると語られている。

借りものではない自分自身の意見、自分の価値観をはっきりもっていく。人まねでなく、確固たる信念に生きる。周囲に紛動されない。幅広い知識とともに、人生や社会の本質を見ぬく見識をもつ。それが「教養ある人」である。
その点、多くの日本人は世間体を気遣い、その場の空気や流行に従う傾向が強い。「本当にそうなのか」「これで正しいのか」と、事実を確認しようともしない場合も多いようだ。哲学もなければ信念もないのでは、世界に通用する論理性も、説得力ある言論も生まれないであろう。

何があっても微動だにしない。厳然と正しく判断し、断固として正しき道を開いていく。そうした真の「教養の人」「人格の人」になっていただきたい。

断じて為す

 フランスの英雄ナポレオンが挑んだ「アルプス越え」。イタリア遠征に臨んだ30歳の青年将軍は、敵の戦略の裏をかき、あえて困難な道を選んだ。先生は「不可能とは、臆病者の言いわけなり」との信念で繰り広げられた不屈の闘争を紹介しつつ、使命深き友の勝利を望んだ。

戦いは知恵である。知恵を実行するところに勝利がある。ゆえに勝つためには頭脳を鍛えねばならない。そして「断じて為す」勇者にこそ、知恵がわき、栄光への道が開けるのである。

若さの力は偉大である。
恩師戸田先生は、一切を青年に託された。そして晩年には“俺はもう、全部お前に教えた。今度は、お前が俺に教えてくれ”とまで言われていた。偉大な先生であられた――。
今もまた青年が立つ時である。青年が「責任」を担って大活躍すべき時である。そうでなければ新しい時代を開くことはできない。青年で一切が決まる。

あるとき、ナポレオンは、10万の敵と戦った。味方はわずか5万たらず。“これでは、かなうはずがない”。だれもがそう思った。
だが、ナポレオンは高らかに叫ぶ。「わが兵五万。これにナポレオンの名を合算せよ。総計十五万!」(鶴見祐輔『ナポレオン』潮文庫)と。
この確信が軍の士気を一変させた。
確信が大切である。明確な声が大切である。“無表情、無感動の若者”であってはならない。
たとえば、ご両親に心配をかけないよう、「しっかり勉強します!」と、はっきり言ってあげ、安心させてあげることである。現実はともあれ、言いきっていくことが自分自身を励ます場合も多い。

創価教育の父・牧口先生は、「羊千匹よりも獅子一匹」と言われた。本物の「獅子」を育てる。強き強き「人間」を育てる。それが「創価教育」である。
私も、この「創価の魂」のままに一人、戦ってきた。
だれにも頼らない。何も恐れない。ただ一人、「戸田先生と一体」で進む。それが私である。
諸君もまた、「本物の一人」に育ってほしい。何ものにも屈せず、紛動されず、21世紀の精神闘争の先頭に毅然と立つ「青年学者」「青年将軍」であっていただきたい。

使命に生き抜け

 最後に先生は、「シルクロードの宝石」と呼ばれる中国の敦煌を厳然と守り抜いてきた敦煌研究院の歩みを通し、21世紀を生きゆく創大生に万感の期待を寄せた。

敦煌――それは、いにしえの無名の庶民がつくりあげた「民衆の宝の城」である。また、壮大なる人間の交流によって花開いた「文化の華の城」である。
――権威でも権力でもない。地位や名声でもない。もっとも偉大なのは「民衆」であり、「人間」である。その他は、すべて幻にすぎない。蛍火のようなものである。

移ろいゆく、一時の流行など見向きもせず、悠久の歴史を見つめ、「わが使命」に生きぬいていく――その人こそ尊い。私も百年、二百年、五百年、千年の先を見つめて進んでいる。

諸君が、豊かなロマンに輝くシルクロードのごとく、敦煌のごとく、「これほどすばらしい人生はなかった」という一生をつづっていかれんことを念願し、私のスピーチとさせていただく。きょうは、ありがとう!

(月1回の掲載予定)

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