「あいかまへて・あひかへて・信心つよく候て」です。
信心は、成り行きでいつか深まってくるものではない。「あひかまへて」とは、発心をしなさいということです。何があろうとも、よし、これを転機に御本尊根本に一歩前進していこう、という勇敢な信心が大切です。その信心のあるところ、釈迦、多宝、十方の諸仏の守護が、厳然と働きをあらわしてくるのです。
恋愛のために、まわりと折りあいが悪くなり、仕事も手につかなくなって、自身がいい加減になってきたら、その恋は本物ではない。恋するがゆえに、生命が、生きいきと躍動し、仕事に張り合いが感じられ、まわりの人びとからも、いよいよ親しまれるようになったら、その恋は本物であると考えて、まず間違いなかろう。
栄誉に輝いた友をほめたたえ、ともに喜ぶ人は、その心に福徳が積まれていく。
反対に、妬んだり、たいしたことはないと見くだしたりする人は、自身の福徳を消してしまう。
わが友を幸福にしゆく女性が、幸福の博士なのである。