聖教新聞ななめ読み

太陽、月、星星を含め、宇宙の一切は欠けることなく私たちの胸中にある。と、それは言うなれば、一人一人の胸中に、無限のドラマを展開する大宇宙と同じエネルギーがある。

スポンサーリンク

「仏法は海のようなものである。ただ、信によってのみ入ることができる」


太陽、月、星星を含め、宇宙の一切は欠けることなく私たちの胸中にある。と、それは言うなれば、一人一人の胸中に、無限のドラマを展開する大宇宙と同じエネルギーがある。
無限の可能性という至極の宝がある。
自分の中にある生命力は宇宙を動かしコントロールする力と同じものである。


生命それ自体が幸福に向かって前進しているとき、これを妨げる働きが本念的にあらわれてくる。これは変わらぬ道理である。この働きを魔と名づけるのである。
魔とは観念ではない。生命自体の一実相であり、さまざまな現象となってあらわれてくるものである。幸福への反作用である以上、魔はあらゆる姿で仏道を求める者を妨害しようとするのである。


対象となる客観世界の探求は自然科学等の範囲であって、この方面における研究は驚くべき長足の進歩をきたしている。
しかし一方の主観世界たる生命の探求はいっこうに進んでいない。
驚くべき事実は、三千年の昔に釈尊はすでに生命の本質、生命の実体を残りなく説き示しており、しかも七百年以前に日蓮大聖人は実践の方式を打ち立てられているのである。