法華経は、釈尊の本意、すなわち「万人の成仏」を実現する最も根本の教えを説いた経典です。今回の「みんなで学ぶ教学」では、釈尊の願いを託された「地涌の菩薩」をテーマに学びます。
――法華経には、釈尊が亡くなった後に、正法を弘める“主人公”が現れる、と学びました。
従地涌出品第15で登場する「地涌の菩薩」のことですね。
法華経では、この涌出品の少し前から、“釈尊の滅後、とりわけ末法に、法華経を誰が弘通するのか”が大きなテーマになります。
末法とは、釈尊の仏法が混乱し、それまでの教えの救済力が失われていく時代です。人々の生命も濁り、社会においても争いが絶えなくなるため、人々を救うのは容易ではありません。
この末法に妙法を弘めるよう勧める釈尊に応えて、さまざまな菩薩たちが“私たちが弘めましょう”と名乗り出ますが、釈尊はそれらの願いを退けます。
そして“私の本当の弟子がいる”と宣言し、六万恒河沙(インドのガンジス河の砂の数の6万倍)もの無数の菩薩を大地の下から呼び出しました。これが地涌の菩薩です。
――壮大なスケールですね。
地涌の菩薩の姿は、堂々としており、優れた品格をそなえ、智慧にあふれ、志が堅固で、強い忍耐力を持っています。
“釈尊を25歳の青年とすれば、地涌の菩薩はまるで人生経験豊かな100歳の人のように見える”と説かれるほど立派で気高いものでした。
地涌の菩薩は、釈尊の“久遠の弟子”として、はるか昔から修行を続けてきました。そのため、末法悪世にあっても困難を乗り越えて妙法を弘めていく力を持っています。だからこそ、釈尊は他の菩薩たちの願いを退けてまで、地涌の菩薩に未来の広宣流布を託したのです。
また、地涌の菩薩は、“成仏のための根源の法”を既に所持しており、釈尊と同じ仏としての生命境涯を持っています。しかし、どこまでも現実世界で人々を救っていくために、仏の境涯を持ちながらも、菩薩の姿として民衆の中で民衆と苦楽を共にします。
――御書の中でも、地涌の菩薩について記されていますね。
「諸法実相抄」には「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」(御書1359ページ)と日蓮大聖人御自身が、地涌の菩薩の先駆者として末法の民衆を救う大闘争を起こされたことを述べられています。
さらに、続く部分で「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや」(同1360ページ)と、弟子に呼び掛けられています。
末法の御本仏である日蓮大聖人は、この地涌の菩薩の上首(最高リーダー)である上行菩薩のお立場から、法華経に秘められた御自身の生命そのものである南無妙法蓮華経を御本尊として顕し、万人に成仏への道を開かれました。
池田先生は語られました。
「ただ『拝んでいる』だけでは、『日蓮と同意』にはならない。折伏をやろう! 広宣流布をやろう!――この心の炎が燃えている人が『日蓮と同意』なのである」
――広宣流布に励む、私たち創価学会員も地涌の菩薩ということでしょうか。
大聖人と同じ心で広宣流布の大願に生き抜く人は皆、地涌の菩薩にほかなりません。
かつて、軍部政府と戦い、逮捕・投獄された第2代会長・戸田城聖先生は、獄中で唱題と思索を重ねる中で「我、地涌の菩薩なり」との悟達を得ました。出獄後、この“獄中の悟達”を原点として創価学会を再建し、同じ自覚を持つ同志の輪を広げ、日本の広宣流布の基盤を築かれたのです。
そして愛弟子である池田先生の手によって、世界広宣流布は大きく伸展し、“地涌の連帯”は192カ国・地域にまで広がりました。
――私たちには、大切な使命があるのですね。
妙法に巡り合い、自身の使命を自覚した同志が、新たな悩める友に地涌の菩薩として生き抜く喜びを語り伝えていく――。この誓いと歓喜の連鎖によって築かれたSGIのネットワークこそ、「地涌の義」そのものといえるでしょう。
創価学会員として、地涌の誇りも高く妙法流布に励む。その尊き挑戦を日蓮大聖人が最大に賛嘆されることは間違いありません。
「地涌の菩薩」については、次の書籍の中でも言及されています。
○…指導選集『幸福と平和を創る智慧』第3部[上]49ページ(聖教新聞社)
○…『法華経の智慧』普及版〈中〉141ページ(同)
○…『教学入門――世界宗教の仏法を学ぶ』160ページ(同)