男子部「御書活動者会」研さんのために

〈6月度 男子部「御書活動者会」研さんのために〉 上野殿御返事(竜門御書) 2018年5月26日

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師弟不二の大願に立て
広布に生き抜く人生を
 
雪解け水が勢いよく流れる松川と残雪の北アルプス(長野県白馬村)。広布の大願を胸に、たゆまず前進の日々を

 6月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「上野殿御返事(竜門御書)」を研さん。師弟不二の「大願」に生き抜く重要性を学ぶ。

御文

 かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ(御書1561ページ)

通解

 かりにも法華経のために命を捨てなさい。露を大海に入れ、塵を大地に埋めるようなものと思いなさい。

背景と大意

 本抄は、弘安2年(1279年)11月6日、日蓮大聖人が身延の地で認められ、駿河国(静岡県中央部)の門下・南条時光に送られたお手紙である。別名を「竜門御書」という。
 本抄の御執筆当時は、大聖人の門下が激しい弾圧を受けた「熱原の法難」の渦中だった。
 時光は、迫害に遭った人々を自邸にかくまうなどして、同志を守り抜いた。それゆえ、時光自身も幕府から不当な重税を課せられるなどの迫害を受けたが、不退の信心を貫いた。大聖人は本抄で、時光を「上野賢人」と呼んで、最大に称賛されている。
 本抄で大聖人は、凡夫が成仏するためには、数々の難を乗り越えなければならないことを教えられ、弟子たちに、今こそ大願を起こして法華経のために身命をなげうっていくよう呼び掛けられている。

解説

 拝読御文の前段で大聖人は、「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)と、迫害の渦中にいる弟子たちに力強く呼び掛けられている。
 当時の世相は、疫病の流行や蒙古が再襲来するかもしれないという状況にあり、誰もが「死」を身近に感じていた。さらに、大聖人門下には命に及ぶ大難が降りかかっていた。大聖人は、そうした状況を捉えて、「ともかく死は避けることができない」(同ページ、通解)と述べられ、拝読御文で、同じく死ぬのであれば、「法華経のゆへに命をすてよ」と示されたのである。
 無論、生命は守るべき尊極の宝である。「命をすてよ」との仰せは、決して自己犠牲を強いるものではなく、“広宣流布のために生き抜け”との呼び掛けであると拝したい。
 人間は誰しも、死を避けることができない。であればこそ、限りある時間をどう使うのか――。その選択が人生の価値を決める。
 続く御文で「つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ」と仰せである。大宇宙から見れば、私たちの一生は、「つゆ」のようにはかなく、その存在は「ちり」のように些細なものであるかもしれない。
 しかし、「大願」を起こし、広布に生き抜くならば、露が大海に溶け込み、塵が大地と一体となるように、妙法という生命を貫く法と一体となり、崩れざる幸福境涯を確立していけるのだ。
 池田先生はつづっている。
 「勇んで広宣流布に生涯を捧げる覚悟を定める時、わが生命は、御本仏である日蓮大聖人に連なり、何ものをも恐れぬ大力が涌現し、仏の大歓喜の生命が脈打つのである」
 まさしく、この不惜身命の決意に立ち、大聖人直結の慈折広宣流布の道を歩んできたのが、三代会長であり、創価の師弟なのである。
 6月は、牧口先生の生誕の月(1871年6月6日)である。また今年は、牧口先生と戸田先生が入信してから90年の節目でもある。
 牧口先生、戸田先生は戦時中、死身弘法の精神で軍部政府の弾圧と戦い、大聖人の仏法の正法正義を守り抜いた。
 両先生の精神を継いだ第3代会長の池田先生もまた、あらゆる三障四魔、三類の強敵と戦い抜き、隆々たる創価学会、SGIを築き上げた。
 師と同じ「大願」に立つ不二の弟子の生命には、いかなる試練にも負けない力が涌現するのである。
 拝読御文の後で大聖人は、法華経化城喩品の「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」(同ページ)の文を引かれている。
 広布に生きる功徳は、その人自身にとどまることなく、あらゆる人々を成仏に導いていける。だからこそ大切なことは、いかなる環境にあっても、「広宣流布のために戦う」との闘争心をたやさぬことだ。
 仕事などで、思う存分、学会活動ができない日もあるだろう。だが、心に「広布の炎」が燃えていれば、一言でも同志を励まし、悩める友人に仏法の偉大さを伝えることができる。
 私たち男子部は、日々、大願に生き抜くとの決意で、折伏に、人材育成に、勇んで挑戦していきたい。