人間革命の劇をつづれ!
10月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「撰時抄」を研さん。世界広宣流布の「時」の重要性を学ぶ。
大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか
(御書265ページ)
大集経で説く白法隠没の時に続いて、法華経の大白法が、日本の国並びに一閻浮提に広宣流布することも、疑いないことではないか。
本抄は建治元年(1275年)、日蓮大聖人が54歳の時、身延で御述作になり、駿河国(現在の静岡県中央部)の西山由比(由井)氏に送られたとされている。
この前年となる文永11年、大聖人は流罪地の佐渡から鎌倉に戻り、4月に幕府に対し“謗法の教えを用い続けるならば、国が滅びることになる”と、3度目の国主諫暁を行った。しかし、幕府は諫暁を用いることはなかった。
それから半年後、蒙古の大軍が来襲(文永の役)。大聖人が「立正安国論」で予言された他国侵逼難にほかならなかった。他国からの侵略という「前代未聞の大闘諍」(御書259ページ)が起き、日本国中が騒然となる中で執筆されたのが本抄である。
本抄では、末法は、法華経の肝心である南無妙法蓮華経が広宣流布する時であり、その大法の教主は御本仏・日蓮大聖人であることが明かされている。
そして、末法という時にかなった法こそ、南無妙法蓮華経の大白法であることが示され、全世界に広宣流布することが宣言されている。
本抄の主題は、題号が示すように「時を選ぶ」ことにある。大聖人は、「撰時抄」の冒頭で「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」(同256ページ)と述べられ、仏法を弘めるには、今がいかなる「時」かを知ることが重要であると強調されている。
ここでいう「時」とは、一般的な時間ではなく、「法を説く時」と拝される。
大聖人は、例として、釈尊や弥勒菩薩などらが、たとえ機根の勝れた衆生が法を求めても、「時」が到来しない限りは説かず、しかるべき「時」を選んで初めて法を説いたことを示された。それは、当時、仏教界に「時」よりも「機根」を重視する考え方があり、それを打ち破るためであったと拝察される。
拝読御文の前段で大聖人は、末法に入って200余年の今は、大集経に示される「闘諍言訟・白法隠没」の時に当たるとされ、仏の予見が真実であるならば、一閻浮提に闘諍が起こる時であると仰せになられた。大聖人は、漢土(中国)が蒙古の軍勢に打ち破られ、高麗(韓・朝鮮半島の国)も同様に蒙古に攻められ、さらに日本も壱岐・対馬が蹂躙された事実を通し、「闘諍言訟」との仏語が、時をたがえることなく末法にその姿を顕していると仰せである。
そして拝読御文で、このような事実から考えると、大集経の「白法隠没」の時に次いで、法華経の大白法が、日本だけでなく全世界に広宣流布することは疑いないと断言されている。
この大聖人の御宣言を現実のものとし、全世界へ仏法を弘めてきた唯一の団体が、創価学会である。
池田先生は、東西冷戦・核軍拡競争の渦中に、こう語っている。
「われわれは、第二次世界大戦をもって、『前代未聞の大闘諍』と決定しよう。どんなことがあっても、第三次世界大戦は起こさせない。そのことを御本尊に強く願い、死身弘法を誓おうではないか。広宣流布という世界の恒久平和、人類の幸福を、必ず達成しようではないか」
先生はこの言葉の通り、世界広布の扉を開かれた。54カ国・地域を訪問し、地涌の連帯を広げてきたのである。
今月8日に完結した小説『新・人間革命』には、恩師の遺志を受け継いだ弟子・山本伸一が、どのようにして世界広布を推進してきたかがつづられている。
広宣流布の方程式が示された今こそ、男子部が総立ちとなり、世界広布の道に続く時である。偉大なる師匠と共に、今という「時」を歩む喜びをかみしめながら、あの友この友のもとへ、勇気の対話を広げゆこう。