法悟空 内田健一郎 画 (6195)
六月二日午後、山本伸一は、フィレンツェ中央駅に駆けつけた百人ほどのメンバーに送られ、ミラノ行きの列車に乗り込んだ。
窓の外には、名残惜しそうな、幾つもの青年たちの顔があった。彼は、“頼むよ。君たちの時代だよ”との思いを込めて、目と目でガラス越しに無言の対話を交わした。
列車が動き出した。皆が盛んに手を振る。その目に涙が光る。伸一も手を振り続けた。
青年が立つ時、未来の扉は開かれる。
彼は、フィレンツェの街並みを見ながら、「生命の世紀」のルネサンスを告げる暁鐘が、高らかに鳴り響くのを聞く思いがした。
この時の青年たちが、雄々しく成長し、イタリア社会に大きく貢献していった。そして三十五年後の二〇一六年(平成二十八年)七月、イタリア共和国政府とイタリア創価学会仏教協会のインテーサ(宗教協約)が発効される。それは、まさに信頼の証明であった。
ミラノに到着した伸一は、三日、二百余年の歴史と伝統を誇るスカラ座に、カルロ・マリア・バディーニ総裁を訪ねた。そして、総裁の案内で、スカラ座前のミラノ市庁舎に、カルロ・トニョーリ市長を表敬訪問した。
実は、この年の秋、民音などの招聘で、スカラ座の日本公演が行われることになっていたのである。公演は、総勢約五百人という空前の規模のものであり、前年のウィーン国立歌劇場に続き、オペラ界の最高峰の日本公演として大きな期待が集まっていた。
会見の席上、トニョーリ市長から伸一に、市の銀メダルが贈られた。
さらに、スカラ座でも、バディーニ総裁、フランチェスコ・シチリアーニ芸術監督らと会談した。「スカラ座の名に十分に値し、世界的音楽団体である民音の名に値する、最高の公演にします」と語る総裁の顔には、日本公演にかける並々ならぬ決意がみなぎっていた。
伝統とは、単に歳月の長さをいうのではない。常に“最高のものを”との、妥協なき挑戦の積み重ねが育む気高き年輪である。