御書全集1241ページ2行目~5行目
「一人立つ」信心で新たな歴史を築く
日本国の中にただ一人、南無妙法蓮華経と唱えたり。これは須弥山の始めの一塵、大海の始めの一露なり。二人・三人・十人・百人、一国・二国、六十六箇国、すでに島二つにも及びぬらん。今は謗ぜし人々も唱え給うらん。また上一人より下万民に至るまで、法華経の神力品のごとく、一同に南無妙法蓮華経と唱え給うこともやあらんずらん。
「須弥山の始めの一塵、大海の始めの一露」との譬えからは、日蓮大聖人が、末法の一切衆生を救いゆく、法華経の題目を弘める“最初の一人”となられた誇りと御確信を拝することができます。
そして現実に2人、3人と伝え広げ、当時の日本全国に妙法を弘通され、今日まで続く、世界広布の流れを開かれたのです。
創価学会は、この大聖人の妙法流布の御遺命と、“一人立つ誇り”を継承し、三代の会長と共に、あらゆる障魔に打ち勝ってきたのです。
草創期には、“貧乏人と病人の団体”と悪口されることもありました。そんな世間の風評などに紛動されることなく、何があっても大聖人に連なる“創価の誇り”を胸に、信心の炎を燃やしてきたのです。
戸田先生はかつて、「今、威張っている人間が、しまったと思う時が広宣流布だよ」と語られました。
その言葉を現実のものとするため、学会員は、世間をあっと言わせるような勝利の姿を示してきました。“必ず幸せになってみせる”と一人立ち、懸命に題目を唱え抜きながら、岩盤に爪を立てるようにして幸福境涯を開き、広布を前進させてきたのです。
一人一人の宿命転換の実証が積み重なり、須弥山のような人材山脈が築かれ、“七つの海”に創価の連帯が広がったことは、仏法史上、未聞の快挙であるといえます。
下半期も“創価の誇り”を胸に、一人立ち、自分自身の新たな歴史を築いていきましょう。
100人いれば、100通りの考え方があります。職場や地域において、時には意見が異なり、ぶつかることもあるでしょう。
その時、大切なことは、“あの人とは考え方が合わない”と決め付けないことです。そして、諦めずに対話を続けることではないでしょうか。
「あるいはののしられ、打たれ、あるいは傷を受け、あるいは流罪に二度遭い、死罪に一度定められた」(新1711・全1240、通解)――。日蓮大聖人は拝読御文の直前で、妙法流布に捧げられた二十数年間を振り返り、述懐されています。
それでも、大聖人は万人に具わる仏界の生命を信じ、大慈悲の御闘争を続けられます。その中で、「今は謗ぜし人々も唱え給うらん」とあるように、敵をも味方に変えながら、一人、また一人と正法に目覚めさせていったのです。
広宣流布といっても、「一対一の対話」から始まります。心を込めて語っても、相手から反発されることもあるでしょう。その時こそ、相手の幸福を祈り、粘り強く対話しつづけることが大切です。
池田先生は「信心に反対であるという人に対しても、幸せを願い、大きな、広い心で、笑顔で包み込むように接して、友好に努めていくことが大事です。それが、仏縁を結び、広げていくことになるからです」とつづっています。
一人から一人へ――今がどうあれ、相手を思う真心は、必ず伝わります。地道な対話によって、自他共の幸福境涯が開かれるのです。
「法」そのものは、無始無終の永遠の真理です。しかし、「法」を覚知した一人が立ち上がって伝え広めなければ、万人が「法」の利益に浴することは永久にあり得ません。
思えば、仏教の創始者である釈尊は、菩提樹の下で覚りを得た後、この法を説くべきか否かと逡巡しました。あまりにも未聞の法だからです。しかし、遂に決断し、民衆のために一人立ち、法を弘め始めました。「一人立つ精神」は、仏教の誕生から変わることのない、根幹であるといってよいでしょう。(中略)
全ての人には本来、仏性が具わっています。ですから、どこまでも堂々と、そして誠実に、この仏法の偉大さ、学会の素晴らしさを語り抜いていけばよい。仮に無理解からの非難があっても、やがては、相手の仏性が発動していくのです。(『わが「共戦の友」――各部の皆さんに贈る』)
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ある時、牧口先生は、座談会よりも講演会形式にしたほうがいいと語る青年に、鋭くこう語られました。「いや、それは違う。人生に対する問題は対話でなくては相手に通じない。講演だけでは、聞く方は他人事にしか感じないものだ。日蓮大聖人の『立正安国論』にしても問答の形式ではないか」
また、戸田先生も、「広宣流布は一対一の膝詰めの対話によって成し遂げられる」とよく語っていました。
私も同じ信条で、常に一対一の対話を重ねてきました。どこまでも大切なのは、一対一の人間味ある励ましと信心の触発です。この伝統が継承される限り、学会は永遠に発展していくことは間違いありません。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻)