御本尊様に祈ることによって、諸天善神が動きだします。仏の眼で見れば、因果の理法に則り、祈った瞬間に叶う勝因が刻まれています。ところが、私たち凡夫の目では、それを実感できたない。そこに〝叶わないのではないか〟と不安や恐れにとらわれた迷いが生じてしまうのです。祈りとは、この「元品の無明」という根源的な迷いとの連続闘争です。目には見えなくとも、厳たる生命の法理を確信しきっていくのが信心です。「法華経の兵法」で祈り抜き、元品の無明を打ち破っていくのです。
祈りを忘れ、いたずらに方法論ばかりに走ってしまえば、せっかくの行動も空転におわりかねない「法華経の行者の祈り」を貫いてこそ、最高の勝利が約束されるのです。言うまでもなく、漠然と祈っているだけで、願いが叶うのではありません。信心しているからこそ、真剣に祈って智慧を出し、誰よりも勇敢に忍耐強く挑戦し抜いていくのです。