池田先生ご指導

「永遠の仏」といっても「如来」といっても、広布のために命を削る一瞬一瞬の戦いを離れてはないのです。その「瞬間の生命」こそが「如来」なのです。

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私どもにとっては、広宣流布という大願に生き、つとめ励むことが、そのまま「不死の境地」なのです。それが寿量品を身読したことになる。「永遠の仏」といっても「如来」といっても、広布のために命を削る一瞬一瞬の戦いを離れてはないのです。その「瞬間の生命」こそが「如来」なのです。