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「烈風魂」の原点から50年 5千人の和歌山大会 2019年12月22日

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原田会長が出席 県立体育館で

 「皆さんが喜んでくださるんでしたら、なんでもやります。私は、皆さんの会長だもの!」
「よーし、やるぞ!」
1969年12月21日――和歌山県立体育館。池田先生は愛する友のために、高熱を押し、文字通り命を削って「武田節」を舞った。その勇姿は今なお和歌山、関西、そして全国の同志の「戦う心」を鼓舞し続ける。
2019年12月21日――50年前と同じ日、同じ舞台を、5千人の「武田節」の大合唱が揺るがした。

「烈風魂」の原点から50周年を記念する和歌山大会が21日、原田会長が出席して同体育館で開催された。
池田先生は万感こもるメッセージを寄せ、烈風魂をみなぎらせて本年の全学会の勝利をけん引した和歌山の戦いを称賛。我らの広布の行動こそ地涌の菩薩の「真髄の舞」であると述べ、自他共に無量無辺の大歓喜の舞を勝ち広げ、世界が仰ぎ見る創価の勝利城を築きゆこうと呼び掛けた。

50年前と同じ日、同じ舞台から
和歌山よ舞え!「次の50年」へ
愛する和歌山の同志のために、高熱を押して「武田節」を舞う池田先生(1969年12月21日、和歌山県立体育館で)
愛する和歌山の同志のために、高熱を押して「武田節」を舞う池田先生(1969年12月21日、和歌山県立体育館で

 命を削る師の激励。それに応えて、常勝関西の輝く金字塔を打ち立てた和歌山の同志。50年前の師弟共戦の劇は、広布の歴史に燦然と輝く。以来、「連戦連勝の和歌山」の伝統が築かれ、本年も和歌山は、日本一の立正安国の実証を打ち立てた。
大会の第1部では、50年前の県幹部会をはじめ、1974年、81年、85年に刻まれた池田先生の和歌山指導の歴史を紹介。郷土の師弟の原点を確認しつつ、各部の友が、烈風魂を受け継ぐ決意を込めて演技・演奏を展開した。
鼓笛隊の熱演で幕が開けた後、少年少女部が“大楠公”等を凜々しく合唱。壮年部の有志が「武田節」を勇壮に歌い、音楽隊「創価和歌山ブルーイーグルス」が迫力の演奏を披露。婦人部の合唱団は県愛唱歌「和歌山愛さむ」等を美しく響かせた。そして青年部によるダンスと合唱が、壮麗にフィナーレを飾った。
この舞台を陰で支えた運営役員の一人が中川勇樹さん(和歌山大城県、圏男子部長)。大手化学メーカーの研究員として社会で実証を示す。大会をリーダー率先の弘教で飾ろうと、小学校時代の友人と仏法対話。今月、友人とその父親の2人を入会に導いた。「一人でも多くの友が先生と直結の人生を歩めるよう、戦ってまいります」と誓う。
舞台を見つめる友の中には、50年前の参加者も。吉村純三さん(和歌山戸田県、副総県長)は当時、中学3年生。池田先生の勇壮な舞に感動し、“生涯、先生と一緒に歩む”と決めた。
高熱を押しての激励だったのを知るのは、神奈川の大学に進学してからのこと。和歌山を思う師の心に応えようと、地元で教員に。37年間、教育に携わり続けてきた。県教育委員会に勤めた時には、ふるさと教育のための副読本作成に尽力。子どもたちに、和歌山の素晴らしさを伝えることもできた。「先生の愛する和歌山のため――この一点でこれからも進みます」
阿辺和子さん(和歌山池田県、支部副婦人部長)は50年前の幹部会の前後に、相次いで夫と長女を亡くした。先生との原点を心の支えに、女手一つで子育てし、人生の苦難を乗り越えてきた。次女は地区婦人部長、三女は支部副婦人部長として後継の道を歩み、今回の大会には、孫やひ孫など4人の家族が出演した。
「先生と共に苦難の坂を越えてきたからこそ、今があります。生涯、報恩の人生を歩んでいきます」
――幹部会の第2部では、谷川主任副会長が池田先生のメッセージを紹介。中林総県長、山下同婦人部長、土井同男子部長、東本同女子部長が、全国をリードする拡大で、和歌山の未来を勝ち開こうと訴えた。
山内関西長は和歌山総県の新スローガン「みなぎる烈風魂! 今再び 連戦連勝の勝ち鬨を!!」を発表。
原田会長は「日本一の名演」と熱演をたたえ、50年前も50年後の本年も、師に応える「日本一の拡大」を成し遂げた和歌山を称賛。次の50年も、“和歌山を見よ”と言い切れる痛快な前進をと呼び掛けた。
最後に全員で「武田節」を大合唱し、和歌山の同志は誓い合った。「烈風魂」よ不滅なれ――と。