われわれの生命には、染浄の二法が存在する。清らかな生命は、外界のいっさいを、すなおにうけて、宇宙の大リズムに調和して、生命が流転するから、決して、無理はない。この生命こそ、偉大な生命力を発揮するがゆえに、人生を楽しむことができるのである。
ところが生命の染法と申すのは、生命が幾多の流転の途上に、みな、あやまった生活が生命に染まって、一つのクセをもつことになる。そのクセをつくるもとが、欲ばり、いかり、バカ、しっと等のもので、これによって種々に染められた生命は、宇宙のリズムと調和しなくなって生命力をしぼめていくのである。このしぼんだ生命は、宇宙の種々の事態に対応できなくて、生きること自体が苦しくなるので、すなわち、不幸なる現象を生ずるのである」
すべての病気は、正しいリズムからはずれたときに起こる。愚痴蒙昧にして、目先のことのみに目を奪われ、偏見、邪見のために、すなおな心がおおわれて、生命力は衰え、無気力となり、そこに疫病がまん延するのである。
「人生とは闘争の異名なり」(ゲーテ)という。その闘争の対象は、必ずしも、目に見える競争相手の人間とは限らない。むしろ、目に見えない苦労、煩悩との闘いであり、詮ずるところは弱い自己との対決である。
同じ苦労ではあっても、そこで挫折して、脱落していく人もいれば、悠々と勝って、実力と自信を倍加していく人もいる。だが、一つの戦いに勝った人も、その次に来る戦いに勝ち抜けるとは保証できない。
妙法は八万法蔵であり、いかなる難関をも突破していける自在の鍵を秘めている。ゆえに妙法を受持した人は、一切の塵労を打ち破り、変毒為薬して、人生の英雄となれることを確信すべきである。