貧乏人であろうが、金持ちであろうが御本尊様と一体、同じである。
我々の当体、すなわち妙法法蓮華経である。
だから皆さんが拝んでいるこの御本尊様はすなわちあなた方であり、我々である。
決して我々と御本尊様と離れるものではない。
大聖人様は南無妙法蓮華経であられ、南無妙法蓮華経の御本尊がすなわち我々だという信心に立っていかなければならない。
相手の仏界に呼びかける思いで丁寧に穏やかにまたある時は厳父のごとき慈愛で語っていくことである。
その時、相手の仏界が鏡のようにこちらの誠実な姿を映して礼拝しかえすのである。
相手を仏のごとく大切にすれば相手の仏性もこちらを護ろうとする。人を軽蔑し、見下せば、鏡に映したように自分が見下される。いつかそうなるのではない。
生命の世界においてはその瞬間に因果が刻まれている。そして時とともにそれがはっきり表れてくる。
人は、どうしても。比べたがります、陰湿や、嫉妬、私達は、常に御本尊様と一緒です、毎日なん妙法蓮華経と唱える事が、大切で、ついつい、私自信も辛い事があると、羨ましいなーとおもう事がありますが
御本尊様に祈りをあげると、スーっと、命が、変化掏るのが、わかります。水の凪がれるごとくの、信心ですね。
自分の姿を写し出す思いになります。
ありのままに
すべての仏性に祈っていこうと思ってました。日々忙しくなると
わすれていまいがちな行動
心になります。日々精進して参ります。
つい最近 本当にそのとおりだと思うことが数回ありました。
お会いする一瞬のこちらの一念に、
お相手の方に変化を感じます。