折伏以外に信心はない。折伏が根幹です。折伏をしなくなっては、学会の生命はありません。折伏を行った人、また、折伏をする人、また、折伏をするように指導する人・激励した人には、どういう人生であっても、それだけの功徳がある。反対に、どんなに信心をしていようと、折伏に挑戦しない人の人生は、最後には崩れてしまうのです。
信心の厚薄は、形では決まりません。
例えば、「唱題は何遍しなければならない」というような御文はありません。自分で目標を立てて祈ることは当然、大事ですが、だからといって形式的になって、疲れている時や眠い時に、無理をする必要もないでしょう。
翌朝、心身ともにすっきりとして行うほうが価値的な場合があります。
「ただ信心が中心! 信心をやるんです。それさえ腹に入れたら、誰が何と書こうと、何を言おうと、驚くことなどは絶対にないだろう。」
我が宿命と真正面から格闘しながら、友の宿命転換のために尽くし、広宣流布に生き抜いていくーーこの尊き実践のなかにこそ、大聖人の魂は脈々と流れ通います。
誓願、朝、目が覚めたら寝床っで先生とともに折伏、人材育成、下種活動をやってまいりますと決意して唱題、サアーやろうと勢いよく起き一日を出発しています、行動はこれに当てはまっていると決め自信をもって毎日過ごしています