


自分自身の誓願の堅固な一念が、諸天善神の誓願の働きを呼び起こすのです。大聖人は一貫して、願い叶えていくためには強盛な信心こそ肝要となることを強調されています。

業の泥の堆積によって、妙法という無垢の黄金の生命はすっかりおおわれ、かくれて見えないが、奥底に実在していることは変わりない。

〈寸鉄〉 2019年4月9日

御本尊様は無上の宝珠、如意宝珠であるから、あなた方の願いは、なにごとも、かなうことになっている。

〈名字の言〉 2019年4月9日 新社会人であろう。真新しいスーツに身を包んだ若者の姿が、通勤途中で目に付く。

信ずるとは疑わないということで、どうすれば疑わないかといえば、自分が体験したことは疑うことはできません。体験をつかむためには、決めて祈って動く以外にありません。

「信心をしてきたおかげで、こんなにも健康になりました」。私のもとには日々、こういう声が、大勢の方から寄せられる。何よりもうれしい。

信心の厚薄により、また信心の強いか、弱いかによって、幸、不幸が現れてくるのです。
