


だが、それでは、生活の充実感を内奥より生み出す根本はどこにあるか、この点が非常に大事になってくるのです。「何かに全身をこめて打ち込む」というけれども、その「何か」をどこに

煩悩の病から「去って」、仏界の太陽が赫々と昇るのです。それが法華経の最後の「去」の一字です。 法華経二十八品は、全体を通して、師弟不二の行動を、炎のごとく呼びかけているのです。

勤行のなかに自分自身の生命、信心の実相が、きちんとあらわれているものです。前進している信心、生き生きとした勤行の実践があれば、生命は躍動し、宇宙のリズムと見事に調和してきます。

タテに、根を久遠の生命まで下ろし、ヨコに、法界に徹した「本因」です。それが「南無妙法蓮華経」です。

またどうしても眠たくてたまらないときは、パッときりあげて休んだほうが価値的です。また、弱々しい題目では、病魔だって打ち破ることができません。宿命転換も不可能です。

ああ、甚深無量なる法華経の玄理に遇いし、身の福運を知る。戸田先生こそ、人類の師ならん。祖国を憂え、人類に必ずや最高の幸福を与えんと、邁進なされ行く大信念。

すなわち、八万宝蔵、さらには一切法といっても、それらは全て御本尊の説明であり、せんじつめれば、一切法は御本尊に帰着することを知っていただきたい

南無妙法蓮華経の「大風」は、だれが止めようとしても止まらない。必ず人類は、自分が大宇宙と一体であるという真理に目ざめていきます。個人で言えば、題目を唱え抜いていく人は、帆に大風を受けたように、必ず人生航路を所願満足の軌道へと乗せていける
