


「本当の決意を込めた題目をあげよ! 題目は利剣である。題目の力は宝刀である。題目で勝ったのだ!」と。

信心の根が深ければ、人生の諸行無常の風に倒されることはない。 所願満足の枝を広げ、宿命転換、成仏への果実を実らせていけるのである。

折伏をすれば、相手の人の生命に内在する悪を滅し、善を生じさせることができる。それは即、自分の生命の悪を滅し、生じさせていくことになります。それを功徳というのです。

私たちの信心は『煩悩即菩提』です。つらいということは煩悩です。御本尊に題目をあげる人は、妙法の力によって、全部、菩提に、幸福に、福運に変えていけるんです。

祈りが、深き使命感と一致していく時、自身の根本的な生命の変革、境涯革命、宿命の転換への力強い回転が始まる。

祈った分だけ動くんだ。 だから祈りが叶う。 皆、祈ってるいるようで祈ってない。 曖昧で、中途半端で、 勤行はするけど 本当に祈っていないんだ。

さて、諸天善神は、「法味」を唯一の〝食″として威光勢力を増すことができる。 末法今時においては南無妙法蓮華経のみが、諸天の滋養となる法味である。

〈寸鉄〉 2018年10月28日 御書「南無妙法蓮華経を 勧めて持たしむるなり」。
