
sokaxx


すべての広宣流布の活動は、自分が幸福になり、人生に勝利するためにある。 苦労した分は、すべて自分の功徳、福運となっていくんです。

戸田先生の解釈を拝すると、たとえ病で倒れても、どんなことがあっても、どんな答えが出ても、御本尊を疑わない という意味です。これが信心の究極であると私は思います。

障魔が問いかけるのは、実は、私たちの信仰の強さ、深さです。勝利するまで戦う誓願を起こすのです。それが「信心」にほかなりません。

「この信心は、すごい」と心から確信できる。それが「心に刻む」「身で拝する」 ということです。その一節が君の信念になる。

堕落は目に見えない「心」から始まる。やがて姿に現れる。 今、心の底から、新しい決意に立ち、大成長していかなければ、次の世代は開けない。

大切なことは、苦難があっても、絶対に、ひるまぬことです。 嘆きや疑い等の弱き心を持ってはならない。

朗々と題目を唱える時、わが胸中に太陽が昇る。 力があふれる。慈愛がわく。歓喜が燃える。智慧が輝く。諸仏・諸天がいっせいに動き始める。 人生が楽しくなる。

祈った分だけ、動いた分だけ、語った分だけ、御本尊から功徳をいただける。
