戸田先生ご指導

毎朝、御観念文に拝することのできるのは、誠にもったいないしだいである。われわれは、日蓮大聖人様の家来であり、子であり、弟子なのである。そして、宇宙の仏様であらされる大聖人様の家来、子、弟子となれることは、人生の大因縁なのである。

スポンサーリンク

毎朝、御観念文に拝することのできるのは、誠にもったいないしだいである。われわれは、日蓮大聖人様の家来であり、子であり、弟子なのである。そして、宇宙の仏様であらされる大聖人様の家来、子、弟子となれることは、人生の大因縁なのである。
しかも、開示悟入の大聖人様の因縁である。
大聖人様のご出世は、われわれのごとき無智な悪人に、大御本尊様を拝ましてやるという一大事因縁なのである。ゆえに、大聖人様の教えに随順して、世に最高唯一の大御本尊様を子として、弟子として、家来として拝することは、無上の大果報である。ゆえに、世人にさきだって、この因縁を知りえたわれわれは、御本尊様の功徳を、悩める衆生につたえる使命をもっている。われも拝み、人にも拝ませるようにつとめ、善きにつけ、悪しきにつけ、世のなかがいになろうとも、世界人類の幸福のために、自分も拝み、他にも拝ませなければならない。