勤行は早からず遅からず、声は大きからず小さからず中道がよい。
勤行をきちんとやれば体がきちんとする、やっていない人に限っておかしくなるのだ。
体を大事にしなければ、広布の使いものにならない。
勤行の弱々しい人は必ず病気になる。
声の大小、早い遅いではなく、御本尊に響きのある題目をあげる事が大事なのです。そして、声の響きが返ってくるのです。
それが功徳になるのです。要は御本尊に対する一念が大事なのです。
勤行を、しっかりやりなさい。そうすれば、どんな願いも叶うし病気の人も体の調子が良くなる。いねむりしていては駄目だ、おかしくなるのは勤行をきちんとやっていないからだ。勤行をきちんとやっているかいないかは自分が一番良く知っている。やりきれば全てが軌道に乗って行く。
体が疲れている時、寝てしまった方が回復するのではないかと思うかも知れないが、そうではなく、しっかり勤行をするのだ。
寝不足なんかなくなってしまう。仕事もうまくいく。態勢を整えるために勤行をするのだ。
宇宙と合致しているのだから生命が大宇宙のリズムに乗らないわけがない。
小さく言えば実相だ。勤行こそ心の、又、生命の最高の化粧法であり、且つ又、最高の健康法である。
白馬がパッパッと駈ける様な朗々とした勤行唱題をしていきましょう。
御本尊にビンビン響き感応していく勤行唱題を実践し、はつらつとした人生を送って行こうではありませんか。
疑いがあり形式的であればその唱題は百万遍の題目を唱えたからといっても境涯が開くものではない。自分自身の発心で一つの目標をかかげて唱題した場合には絶対に開ける。形式的に嫌々ながらでは何千万遍唱えても境涯は開かない。本当に苦しんだ時、百万遍の題目を唱えなさい。
勇気ある実践をしていきなさい。皆さん方に題目を送ります。
皆さん方もしっかり題目をあげて欲しい。
送信機がいくら立派でも受信機がこわれていては駄目だ。
自分自身の生活又は生命の上で悩みがあったら堂々と伸び伸びと百万遍の題目を上げきってみて、どういう結果が出るかということを我が身で体験していただきたい。それが論より証拠です。
ああいうことが出来るだろうか、こうだ、ああだと観念的に思ってもしょうがない。御本尊にぶつかりなさい。
題目を上げきった場合は全部、変毒為薬される。福運に変わっていく。
だから今、どんなに苦しい境涯であっても仏法の原理から歯をくいしばって戦えば、何倍、何十倍、何百倍と広野が開けていく。
又行き詰まる、そしてまたひろがっていく、それを繰り返すのです。
その時に題目を忘れてはならない。全部必ず解決します。
題目をあげておかないと長い人生において非常に困ることになる。
唱えられる時に唱えておきなさい。題目とは貯金です。充電です。
人は死ぬまで様々な苦悩に直面するものです。
思ってもいなかった時、題目をあげていた人と、いない人の差がはっきり現れるのです。あげている人は変毒為薬し、あげていない人は奈落に落ちていく。
仏道修行で一番やさしいのは題目を唱える事であり、一番難しいのも題目を唱える事である。
喜びにも題目、悲しみにも題目、戦いにも題目、一切の活動の源泉は題目を唱えて唱えて唱えきっていくことだ。
これが、大聖人の仏法の真髄である。