三世の諸仏の妙法を受持する者への功徳の約束は、じつに広大無辺であるとのおことばである。
末法今日、御本尊を受持する者の功徳は、願いとして達せざるなく、祈りとしてかなわざるなく、福運としてきたらざるなく、いかなる所願もかならず満足するとのお約束である。
この広大なる福運は、三大秘宝の大本尊に具有せらるるのであって、吾人の信力・行力が、深大であればあるほど、大御本尊の法力・仏力も深大にあらわれるのである。
ゆえに、些少といえども疑う心なく、信心無二に行ずるならば、かならずわれわれの所願は満足せらるるのである。
あまりに偉大な功徳を約束せらるるので、初信の者はおどろくであろうが、けっして誇妄のことではないのである。