池田先生ご指導

人生の戦いも、広布の活動もすべては強き一念によって決まる。 敗北の原因も、障害や状況の厳しさにあるのではない。

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私たちの日々の実践も、幸福への習慣づくりといってよい。困っている人を見ると放っておけない。人々のため、地域のためにと、思わず心が動き、体が動く。その積み重ねによって、自他とも幸福への活力が強まっていく。ここに妙法のリズムに則った学会活動の素晴らしい醍醐味がある。仏法の業という言葉も、もともと行為を意味している。他者に奉仕する行動は善業として我が生命を輝かせていく。


勝つことへの執着心の違いにある。
少しでも前へ進もうという執念の強さが勝率の差になって表れる。
自分自身に妥協しない。


愚痴や弱音は一時の慰め、言い訳にはなっても、人生に何の価値ももたらさない。
かえって自身が卑しく、惨めになり、いつか顔にも出てくるようになる。同情をこうつもりはなくても、周囲に不快感を与えてしまう。
ハラを決めた人は強い。動じない。その人には文句もない。愚痴もない。後悔もない。停滞もない。


人生の戦いも、広布の活動もすべては強き一念によって決まる。
敗北の原因も、障害や状況の厳しさにあるのではない。
自己自身の一念の後退、挫折にこそある。
人間は、自らの一念が後退する時、立ちはだかる障害のみが大きく見えるものだ。
そして、それが現実であると思いこんでしまう。
実はそこにこそ、敗北があるのだ。いわば、広宣流布の勝敗の鍵は、己心に巣くう憶病との戦いにあるといってよい。