若き日の日記

「若き日の日記」1

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1月1日
午前6時、起床。厳寒の朝であった。
全員で、仏前に端座、自分、妻、長男博正、次男城久、三男尊弘、家内一同、大御本尊に厳護いただきし報恩の念、やみがたし。
恩師戸田城聖先生に、深く、新たなる本年の決意を誓う。妻、その意中を知るがごとし。
立宗708年、いかなる年が開けたか。いかなる年が展開されゆくか。全学会員のいよいよの信心と、幸福と、躍動を、祈らずにはいられなかった。とくに、大幹部の自覚と真剣さを欲する――と。

1月2日
朝、ゆっくり起きる。妻より誕生日であるのに、顔色悪しと心配される。どうしてこんなに疲れるのか、見当がつかぬ。決して、病魔に負けぬから、心配するなと笑う。
丑寅の勤行まで、一睡もせず。寒きゆえか、朝方までも眠られず。床の中で、大客殿建立寄進の構想を、真剣に練る。
嬉しく思う。誇り高くも思える。ひとり、広布の陣頭で苦しみ、尽くすことは。
今年は、学会にとっても、自己にとっても、大事な年に入った感じ。ただただ、大御本尊様にお導きいただくほかに、わが途(みち)なし。

1月4日
この一年で、信心の決定と身体の健全を、本格的に計るを決意する。
政界は、次期総裁の決定の年となるか。
宗内には、日達上人猊下のご登座。政界には、池田勇人か。
また学会の最高責任者も決定せねばならぬ年か……。

1月6日
戸田先生あっての学会であった。先生なくして、学会はありえなかった。よって、先生を中心として、全学会のことを考えるならば、しぜんに現状も、領解できうるはずだ。先生を利用し、自己の立場を利するために主観で語り、主張することは、恐ろしいことである。女性には、とくにこのような姿が多い。

1月7日
2~3の先輩理事に、学会の本質、亡き先生の胸中を語ってあげる。エゴイストにならず、可愛い学会員のために、わかってもらいたいものだ。夜、青年部首脳来宅。共に会食。7年後、14年後の構想を語る。わかったか、わからぬか。信じたか、信ぜずか。

1月9日
8時過ぎ、本部に帰り、恩師の遺命である大客殿、正本堂の構想を語り、真剣に取り組むよう、厳しく指導する。
真剣な人あり、無責任の姿の人あり。
恩師去り、いまだ2年たるに、その精神の、はや腐りゆくことを防ぐのみ。

1月10日
遅くまで起きている。思索に思索の針が止まらぬ。妻、身体のことを心配してか、早く休んだらという。

1月11日
夕刻、N氏の関係者とKにて談合。新聞用紙の問題をば、種々打ち合わせる。
いかなる会合にありとも、先生の精神と姿が、目に映ってならぬ。

1月12日
昭和22年、19歳にて入信。その日、8月の24日、勤行、受戒、堀込尊能師のお話ありて、その時間、午後1時ごろより3時ごろまでとおぼゆ。
家、裕福ならず。兄弟4人まで、戦地に出征なれば、やむをえず。温厚実直なる父であり、母なれど、その苦労を思わば、涙あり。
親の偉大さを、沁々と知る昨今となる。平凡な、正直一途の親なれば、尊敬の念、深くなるばかりなり。
昭和22年秋より、ひとり決意して、戸田城聖先生の講義を神田にてうく。真剣なりし。この師のもとならばと、決意一段と固まる。友らは喜々とした姿なれど、わが心は、静かにして常に変わらず。
昭和24年、1月3日――。
戸田先生の牙城たる日本正学館に、編集員として入社。戸田先生の弟子となりし、第一歩なり。われ懸命に、お仕え申し上げる。
人生、社会、学会の厳しさ、次第に知り、勉強を真剣に始む。
昭和25年、8月22日、東京建設信用組合の敗北。戸田先生にとって、第二の難ともいうべきか。ひとり、師と、決めたものの約束として奮戦努力する。この時期、最大なる人間革命となることを覚ゆる。
この一年の、師と共にありし死闘と因縁が、かくまで福運と変わり、宿命転換となるかを思わば、実に正法の不思議なるを知覚す。

1月19日
体重が減ってくる。
昨年4月より、3貫目も痩せたるか。困ったものだ。病魔、死魔は、厳しく、恐ろしい。
妙法の信あれば、本有の病にして、大悪これ大善にかわらぬわけがない。この一年で、必ず回復してみせるぞ。罪業の消滅ということは大変なものだ。
重い身体をして、本部へ行く。幾十貫の錘(おもり)を、背に入れているようだ。

1月20日
学会本部、日一日と活気を呈す。無言のうちなれど、何かを願い、何かに向かって胎動しているごとく。

1月26日
午後、本部幹部会の打ち合わせ。第一応接室。
理事全員、老いたる理事、若き理事、保身の理事、捨て身の理事――この姿を、否、胸の中を、牧口先生、戸田先生が、厳しく見ておられる思いであった。

1月27日
日蓮正宗総本山より、お代替りの儀式の発表がある。学会は、10万名の総登山を決行することにする。
隆昌の宗門。
学会の現状。近く、梅の花が咲こう。桜の花が満開になってゆこう。
夜、H氏、その他数人の友らと、食事をしながら、未来の学会の構想を語る。
真剣な眼差しの、若き将たち。
今日一日も、無理をしすぎる指揮。
学会の将来も、広布の未来の責任も、自分ひとりになってしまった。
帰宅後、ひとり、大客殿建立のことを練る。御供養の時期、御供養の精神、その指導、発表の仕方、委員のメンバー、起工式の日取り、完成の時期、設計業者等々、ひとりで考え、ひとりで雄大なる広布の、構想を考える。
因果の二法なれば、その福運も大であろう。恩師に歓んでもらいたい。
恩師が見ていてくれれば、万事それでよし。

2月1日
身体、実につらい。宿命打開の闘争。断じて負けてはならぬ。嗚呼。

2月5日
左肺、一日中痛む。気持ち悪し。
かつて、戸田先生が、仏法を学する者が自らの生命を解決できずして如何、と沁々とわれに申されしことあり。極言、至言、宝言なり。自己のたゆまざる修練の必要あるのみ。