若き日の日記

「若き日の日記」2

2月11日
戸田先生のお誕生日である。ご生存なれば60歳。還暦であられる。妻と共に、そのことを語り合う。先生の子供のごとく、娘のごとく。
先生逝って、はや2年が近づく。早いともいえるし、全く長かったとも思える。ただ、なんとなく恐ろしき心が、頭に重い。責任、先輩、実績……。

2月15日
理境坊に帰ると、猊下より電話あり。
前会長は、たびたびお会いに来てくださった。
戸田会長の遺志を継ぐ貴男が、大奥に来ないとは――不服である云々と。
即座にお目通り。種々懇談。
わが子のごとく、信頼と、お歓びの様子。
ありがたき哉(かな)。

2月16日
新たなる、学会の前進近し。誰人が知り、誰人が喜び、誰人が待っているか。

2月17日
学会内にも、新旧の考え方に、断層が見えてきた。幹部の進歩、保守、信心の向上性の者、怠惰の者らが、私には見える。余りにも。

2月25日
戸田先生の指導を忘れゆくことを怖(おそ)る。思い出せば、雑記帳に誌(しる)す。

3月7日
学会も一日一日、大事な段階に入ってきた。人びとは、何も知らず。幸せそうだ。

3月16日
2年前の今日、化儀の広宣流布の“記念式典”を、総本山大石寺にて行う。
恩師の言なり。意義深し。
この日を、永久の広布実現の日の、開幕とすべきなりと、青年幹部に残す。
陽春のこの日より、大儀式を行うことに思い深し。化儀の広布の大式典は、一日にして終了するものではない。半年間の大切な日を簡(えら)び、展開させてゆくべきである。

3月21日
一日一日と、5月3日が近づく。人びとは平凡にそれを待つ。しかし私は、いまだ自ら口に出すわけにはいかぬ。余りにも大事な、厳粛なることであるがゆえに。
4月2日は、恩師の3回忌。この2年――何をしたか。直弟子として、何を報告すべきであるか。勇気なきわれに、叱られしことのみ多きか。

3月22日
先生が亡くなり、自分の地位と権威を利用して、いばる人あり。その女房もまた同じ姿あり。愚かや、愚かや。皆も困っている。自分がしっかりせねばならぬを、深く心配す。二重、三重の労あり。

3月29日
3回忌近づく。宗門の内外に、戸田先生の偉大さが次第に浸透してゆくことだろう。その原動力は、遺弟の責務であろう。それを忘却せしものは、真の弟子に非ず。真の弟子、幾人ありぞや。
先生を利用して、自己の保身に汲々たる者はなきや。厳しき師なきゆえに、要領と権威に流されゆくものなきや。

3月30日
本部第一応接室にて、理事長より、全幹部の意向なりと、また機熟したので、第三代会長就任を望む話あり。
初代会長牧口先生と、二代会長戸田先生の、厳しく親しみに溢れた写真の下である。
我侭(わがまま)なれど、きっぱり断る。疲れている。
学会の要となって、指揮を執りゆく責任は果たす。しかれども会長就任は、7回忌にでも共に考えてゆこう、と。
一日一日、津波に押し寄せられゆく感深し。学会をただ一人、厳護してゆかねばならぬ責任のわれ。苦し。

4月5日
5月3日の総会も、日一日と近づく。皆の期待を念(おも)うと胸苦し。余りにも苦し。
久遠の闘争――若き広布の将軍は、矢面に立たざるをえぬ運命なのか。

4月7日
一日一日、重大なる使命を痛感せざるをえなくなってきた。惰性のうえに立った指導者なら楽だ。しかし、開拓と建設に邁進(まいしん)する運命に立つ指導者には、勇気がいる。要領など微塵も考えられぬことだ。困った。

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