〈世界宗教の仏法を学ぶ 池田先生の指導・励ましから〉

〈世界宗教の仏法を学ぶ 池田先生の指導・励ましから〉 2018年7月17日 第7回 唱題根本――生命力を無限に涌現

第7回 唱題根本――生命力を無限に涌現
 連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第7回のテーマは「唱題根本」です。
小説「新・人間革命」第11巻「開墾」の章

 【あらすじ】1966年(昭和41年)3月、ペルーを初訪問した山本伸一会長は、ホテルで代表の幹部と懇談する。伸一は、「題目」こそ人生の勝利者になるための要諦であることを語っていく。

 「皆さんには、全員、人生の大勝利者になっていただきたい。
では、そのための要諦は何かについて、今日は少しお話ししたいと思います。
それは、第一に、お題目です。
健康ということも、勇気も、智慧も、歓喜も、向上心も、あるいは、自分を律するということも、生命力のいかんで決まってしまうといえる。その生命力を無限に涌現しゆく源泉こそが唱題なんです。ゆえに、唱題根本の人には行き詰まりがない」
皆、題目の力は教えられてきたし、それぞれが、体験もつかんできた。しかし、唱題の意義を、伸一から聞くことによって、さらに確信を深めていった。
「ともかく、日々、何があっても、題目を唱え抜いていくことです。題目は宇宙の根本の力です。朝な夕な、白馬が天空を駆け巡るように、軽快に、すがすがしい、唱題の声を響かせていくんです」
すると、女性のメンバーが尋ねた。
「先生。お題目を唱える時には、どういう気持ちで御本尊に向かえばいいのでしょうか」
伸一は、ニッコリと頷きながら答えた。
「仏と相対するわけですから、厳粛な気持ちを忘れてはいけませんが、素直な心で御本尊にぶつかっていけばいいんです。御本尊は、大慈悲の仏様です。自分自身が願っていること、悩んでいること、希望することを、ありのまま祈っていくことです。
苦しい時、悲しい時、辛い時には、子どもが母の腕に身を投げ出し、すがりつくように、『御本尊様!』と言って、無心にぶつかっていけばいいんです。御本尊は、なんでも聞いてくださる。思いのたけを打ち明けるように、対話するように、唱題を重ねていくんです。やがて、地獄の苦しみであっても、噓のように、露のごとく消え去ります。
もし、自らの過ちに気づいたならば、心からお詫びし、あらためることです。二度と過ちは繰り返さぬ決意をし、新しい出発をするんです。
また、勝負の時には、断じて勝つと心を定めて、獅子の吼えるがごとく、阿修羅の猛るがごとく、大宇宙を揺り動かさんばかりに祈り抜くんです。
そして、喜びの夕べには『本当にありがとうございました!』と、深い感謝の題目を捧げることです。
御書には、『朝朝・仏と共に起き夕夕仏と共に臥し……』(七三七ページ)と仰せですが、題目を唱え抜いている人は、常に御本仏と一緒です。
それも今世だけでなく、死後も、御本仏が、諸天・諸仏が守ってくださる。
だから、生命の底から安堵できるし、何も恐れる必要がない。悠々と、人生を楽しみながら、生き抜いていけばいいんです。
題目は、苦悩を歓喜に変えます。さらに、歓喜を大歓喜に変えます。ゆえに、嬉しい時も、悲しい時も、善きにつけ、悪しきにつけ、何があっても、ただひたすら、題目を唱え抜いていくことです。これが幸福の直道です」

理解を深めるために

●方便品・自我偈を読誦する理由

 私たちは、生命変革の具体的な実践の柱の一つとして、毎日、朝夕の勤行を行っています。日々の勤行では、御本尊を信じて題目を唱え、「法華経方便品第2」と「如来寿量品第16」の自我偈を読誦します。
全部で28の品(=章)からなる法華経の中でも、方便品第2と如来寿量品第16を読む理由について、日蓮大聖人は「寿量品・方便品をよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり」(御書1202ページ)と仰せられています。方便品と寿量品は、それぞれ、法華経の前半と後半の中で、最も大事な内容が説かれている部分であり、この2品を読むことで、その他の品の意義も備わることになるのです。
勤行は、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える唱題が根本なので、唱題を「正行」と言います。また、方便品・自我偈の読誦は、「正行」である題目の功徳を助け顕すために行うので、「助行」と言います。
勤行では、あくまでも南無妙法蓮華経の題目を唱えることが根本です。その上で、私たちが方便品・自我偈を読誦するのは、究極の仏の生命を意味する南無妙法蓮華経を最も深く説明し、大いに賛嘆している経文だからであり、御本尊の功徳をたたえるためなのです。

日蓮大聖人の御書から 「日女御前御返事」について

●曼荼羅に顕し修行の本尊に

 日蓮大聖人は、御自身の仏界の生命を一幅の曼荼羅に顕されました。凡夫の私たちが大聖人と同じく、南無妙法蓮華経をわが身に体現し、成仏するための修行の本尊とされたのです。
大聖人は「日女御前御返事」で、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書1244ページ)と仰せです。
曼荼羅の本尊に顕された根源の法であり、仏の御生命である南無妙法蓮華経を拝して、それが、私たち自身の生命にも厳然と具わっているのだと、信じ受け止めていくことが大切です。そのことによって、自身の内なる妙法が開き顕され、仏の境涯を開いていくことができるのです。
御書には「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(788ページ)とあります。自身が本来、仏である、南無妙法蓮華経そのものであると知り、その計り知れない福徳をわが身に開き顕していくこと以上の人生の喜びはありません。
妙法を根本に、さまざまな困難を勝ち越えていく時、永遠に何ものにも壊されない幸福の軌道を進むことができ、この一生を大歓喜で飾っていくことができるのです。

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