聖教新聞ななめ読み

御書の一節が、もっと実生活のなかに密着するように、徹底的にやろう。おたがいに会えばすぐ御書の一節が口をつくというように。

スポンサーリンク

御書の一節が、もっと実生活のなかに密着するように、徹底的にやろう。おたがいに会えばすぐ御書の一節が口をつくというように。要は、教学が生活に必要なものというようにしたいものである。たとえば、なにかコトにぶつかったとき、ああ、これは「行解既に勤めぬれば三障四魔」だ。これは「転重軽受」だ、というように御書が、すぐ思い出されるようになればよい。それだけで自分を守ることができる場合もある。
また過去に何回も読んだ御書で、時により場所に応じて、さらに機根に即して、そのつど受け止める深さが違う。なんの感動もなく、ただスーッと読んでしまうのは空転である。そうなったら負けだ。