池田先生のご指導、創価学会書籍、聖教新聞より「感謝」について…。
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人類は池田先生に感謝すべき!
人類は池田先生に感謝すべき!
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思うに感謝の表明は、その人の「勝利宣言」であろう。
感謝こそ勝利の宣言!
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ですから、御本尊への純粋にして強き信の一念が、また感謝の祈りが、功徳を引き出していく要諦になるんです。
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そのとき、苦難、障害というものを、自身の信心の成長のために、御本尊が自身に与えてくれた一大試練と捉えることができ、むしろ、感謝の気持ちに変わってくるのである。
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信心と感謝の念が妙法の信仰を外護する働きを果たしていくことになる。外より譲る清らかな生命の働きを呼び起していくことになる。
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感謝の心は、歓喜をもたらし、その生命の躍動が、大生命力を涌現させる。
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楽しい命は、楽しい環境を周囲に生み出す。感謝の深い祈りは、あらゆる悩みを速やかに消失させる。
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「たとえ反発しても、相手の仏性は『ありがとう』と喜んでいるのです。だから、見放したらあかん、よし、とことん話そう! と奮い立ってきました。一人でも多くの人と仏縁を結んで、福運をつけてもらいたい。生涯勇気、生涯感謝で勝ちます!」
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御本尊への感謝の心がある人は、福運がますます増していく。
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広布に戦う喜びと感謝にあふれた、燃え立つような祈りは、己心の「仏界の力」をわき立たせるとともに、全宇宙の諸天・諸仏を揺り動かしていく。
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凡夫であるがゆえに、唱題しながらも、最初は自分だけに襲ってきた苦境や困難、さらには自身の宿業をうらみ、また、宿業の深さを嘆く自我中心な心が出没していますが、唱題を重ねるにつれ、しだいに、自分のためではなく、広宣流布への使命感や妙法の厳たる実証を示そうという、他者を思う高次元の目的が芽生えてきて、最終的には、御本尊に唱題できることへの感謝の念だけが横溢してくるようになってくる。この時、真我が顕われてきたのである。そして、その後に大きな結果が顕われる。
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まじめに信心している人であっても、その宿命打開の途上において、大小さまざまな苦しみと戦かわなければならないことがある。無始の昔からの積もり積もった罪障を、いまこの一生で消滅しようというのであるから、さまざまのものが出てくるのは当然である。誰を恨やむこともない。いわんや、御本尊を疑うなどは、とんでもないことである。転重軽受の法理を確信し、御本尊の偉大な功徳に心から感謝して、いっそう強い信心に立ち、唱題、折伏に励みゆくことが、大事であり、それが結局、最短コースなのである。
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この生命尊厳の大城を、日々厳然と守ってくれている同志に感謝は尽きない。
いつも同志を温かく迎え、陰でこまやかに支えてくれる通訳や役員の方々の真心にも感謝は尽きない。
われわれが学会活動に励む上で絶対に忘れてはならないのが、会場提供者への感謝の念だ。
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されば、大御本尊様にむかって、この御本尊様と大聖人様と自分が区別がないと信じて、そのありがたさを心にしみて感謝申しあげ、熱心に題目を唱えるとき、宇宙のリズムとわがリズムと調和して、宇宙の大生命が即わが生命とつらなり、偉大な生命力が涌現してくるのである。泉よりコンコンと水のわきあがるがごとく、地涌の菩薩、法性の淵底より仏前にあらわれるがごとく、強き強き生命力は涌現するのである。これこそ、生活個々にあらあわれた小利益よりも、まことの大利益と喜ばなくてはならない。
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あの人が通ってくれたから、今の幸せがある」「あの時の指導と激励で、私は奮起した」と感謝される人生こそが、広宣流布の勇者の誉れなのである。
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感謝の気持ちがなくなれば、もはや信心の心もない。その人の周りの空気は濁り、福徳と歓喜に満ちた新鮮な空気を味わえない。
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感謝も、いつしか薄らいでしまう。それでは結局自分が損である。一生成仏への遠回りをしてしまう。
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自分の地域についても、「善きところ、善きところ」とたたえ、感謝する心が「自信」と「勢い」をつくっていく。広宣流布の「喜び」を広げていく。
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「不思議なものでね。夫に感謝できる自分に変わったら、衝突しなくなったんですよ」
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