「あなたの生命以上に尊い宝塔はない」--これが大聖人の結論であられた。
法華経は、人間の偉大な生命を表すのに、地球の三分の一のスケールをもった宝塔を出現させたのだ。
池田名誉会長は、「我が身が荘厳な宝塔である。--しかし、なかなか、その真実が見えない。それを見るのが「見宝塔」であり、それを見るための鏡が宝塔品の儀式なのです。また宝塔品の儀式を用いて建立された御本尊も明鏡です」と述べている。
つまり、自身が宝塔であることがわかるための明鏡こそ、大聖人が御図顕された御本尊なのである。
そう考えると、日蓮大聖人や釈尊が説こうとされていたことは、自分自身がかけがえのない存在であることを気づかせるためであったといえる。