「創価学会は指導主義である。つまり御本尊を拝もうではないかと御本尊を指し示していくことが指導である」、これが学会の指導の伝統です。「分かった」というのと「よし、やろう」というのとでは違うのです。つまり、指導とは分からせるのが目的ではなく、信心根本に、「よし、自分も問題解決へ挑戦しよう」と発心させ、御本尊に真剣に祈るような信心に立たせることです。「自分で切り開いてみせる」と相手に決意させることが指導の要諦であることをよくよく胸に刻んでいきたいものです。
「創価学会は指導主義である。つまり御本尊を拝もうではないかと御本尊を指し示していくことが指導である」、これが学会の指導の伝統です。
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