信心の厚薄は、形では決まりません。
例えば、「唱題は何遍しなければならない」というような御文はありません。自分で目標を立てて祈ることは当然、大事ですが、だからといって形式的になって、疲れている時や眠い時に、無理をする必要もないでしょう。
翌朝、心身ともにすっきりとして行うほうが価値的な場合があります。
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「学会は指導主義である。偉大なる御本尊の功徳を受けさせ、強き生命力を得させるように指導するのである」
指導とは激励なり。
分かったというのとよし、やろうというのでは違う。すなわち、指導とは分からせるのが目的なのではなく、信心根本に、よし自分も問題解決へ挑戦していこうと決意させ、広布の使命を果たせることを、御本尊に真剣に祈るような信心に立たせるのが目的。