妙法の眷属であれば、上げ潮の如く福運がついていく。いかなる立場の人であっても、見せかけの信心であり、名聞名利にとらわれるならば、魔の眷属となり、引き潮のごとく、福運が消滅していく。
信心だけは、決して役職によるものではない。どうか、いかに地味であろうが、どんな境遇であろうが、真面目に、純粋に水の流れる如く、信心を貫き通した人が、大聖人の御称賛にあうということを知っていただきたい。
また、大聖人の仰せのままにの信心、実践でいく人は、真実の大聖人の弟子であり、創価学会の宝であります。したがって、いよいよ求道心を旺盛に、受動的な信心ではなく、能動的な信心に立っていただきたい。