大聖人は、「祈り」のあり方と「功徳」の現れ方について、次の四つを挙げています(御書1242ページ)。
「顕祈顕応」とは、何かに直面したとき、真剣に祈り、それに応じて直ちに解決の方途が開かれ、願いがかなうこと。
「顕祈冥応」とは、祈りに応じて具体的な結果が直ちに現れなくても、その功徳は生命に着々と積み重ねられていくことです。
「冥祈冥応」とは、たゆまざる唱題の功徳によって、自然のうちに生命が浄化され、豊かになり、所願満足の道へ入っていくこと。
「冥祈顕応」とは、常日頃の唱題の功徳が、いざという時、具体的事実として厳然と現れることです。
大聖人は、こうした四つの功徳の現れ方を示された上で、「肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候」(同ページ)と断言されています。
たとえ一時は不本意な結果が出たとしても、御本尊を信じて祈り抜いていくならば、必ず所願満足の人生を切り開いていけることは、御聖訓に照らして間違いありません。