池田先生ご指導

一番、苦しい日々が、一番の思い出になる。一番の宝の日々なのだ。苦難と戦う中にこそ、大いなる希望の夜明けは来る。

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池田先生ご指導、聖教新聞他より「苦しい」についてパート2
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目標を決めて頑張っていても、もう一歩、壁を破れないことがある。その突破口を開くものの一つが励ましであろう。苦しい時ほど真心の一言は想像以上の力となる自分の限界を超えるには切磋琢磨できる友とつながることだ。励まし合いつつ前進すれば苦しみは軽くなり、勝利の喜びは倍加する。
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人生の逆境にあって、断じて信心だけは一歩たりとも引かない。そこに、最高の信頼と栄光が築かれる。必ずや、永遠の誉れと功徳が輝く。
一番、苦しい日々が、一番の思い出になる。一番の宝の日々なのだ。苦難と戦う中にこそ、大いなる希望の夜明けは来る。
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わずかな差との戦い、日常の仕事や生活のなかでも、これ以上努力しても無駄だとあきらめたくなるような時がある。その時がまさに二勝二敗の状況。事態の突破口が開ける前は、だれでも苦しいはず。そのわずかな差とは、挑むか、逃げるかの一念のちがいである。「前へ、進め、高みへ!」そうゲーテが喝破したごとく、常にあと一歩前への気概で勝ちゆく日々でありたい。

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仏法対話の折に、牧口常三郎先生がよく語られた一言がある。「信仰に入るのではない。信仰の世界へ出るんだよ」すなわち、正しい信心とは、狭く堅苦しい形式に閉ざされることではない。苦しみの流転を断ち切って、心も広々と、歓喜と福徳の世界へ自由自在に羽ばたいていくことなのである。
この希望と幸福の価値創造の翼を、万人が広げてもらいたい――これが、牧口先生の願いであった。
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自分が苦しい時こそ、人を励まし抜いた。
苦しい時こそ祈り強く。大確信で。
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「つらい時も悲しい時も題目です。人生は、苦しいこと、悩み、つらいことが多いんです。これは誰人であってもそうです。
私たちの信心は『煩悩即菩提』です。つらいということは煩悩です。御本尊に題目をあげる人は、妙法の力によって、全部、菩提に、幸福に、福運に変えていけるんです。すごい宝を持っているんです。
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妙法の実体たる御本尊を、しっかりと信じたてまつって、あらゆる事件もその原因を久遠の実体たる御本尊様によせて考え、行動すべきであります。
この立場で行動するならば、いかなる世間の苦しい事件も、また、困難なことがらも、すべて、御利益と変じ、変毒薬するのであります。
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どん底の時には唱題しても苦しい。悲鳴のような題目が続く。しかしパッと光が差したように安心する瞬間がある。「もうこれで大丈夫だ」と確信できる時がくる。そこまできたら環境は必ず変わっていく。環境が変わる前に自分の命が変わる。 これが僕の信心で学んだ一つの結論です。