小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 九十七 2018年7月20日

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 法悟空 内田健一郎 画 (6427)

 山本伸一がリオデジャネイロを発ち、初訪問となるアルゼンチンへ向かったのは、二月十四日であった。
ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、その後、しばらくして体調を崩した。しかし、伸一との対談集発刊への情熱は、いささかも衰えなかった。幾分、健康が回復すると、六月半ばから、伸一が示した質問と意見に対する回答を口頭で述べ、テープに録音した。
限りある人生の時間と、懸命に戦うかのように、力を振り絞り、言葉を紡ぎ出していった。到来する「新しい時代」のための「人権の闘争」に、最後の最後まで命をかけたのだ。
対談集の準備は、リオデジャネイロでの二人の語らいをベースに、書簡で続けられた。総裁の最後の口述となったのは八月中旬であった。数日後に入院し、一九九三年(平成五年)九月十三日、人権の巨星は、九十五歳を目前にして、偉大なる生涯の幕を閉じた。
対談集『二十一世紀の人権を語る』は、月刊誌『潮』に連載されたのち、九五年(同七年)二月十一日に発刊されている。
伸一は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに到着した翌日の十五日、宿舎のホテルで、アルベルト・コーアン大統領府元官房長官と会談したあと、市内で行われたアルゼンチン代表者会議に出席した。
参加者のなかには、十八日に開催される、第十一回世界青年平和文化祭の準備に励む青年たちの、日焼けした元気な顔もある。
アルゼンチンでも、青年が立派に成長し、広布の未来が限りなく開かれていた。
この十五日の夕刻は、日本時間では十六日の朝にあたり、日蓮大聖人の御聖誕の日である。伸一は、集った友に力強く訴えた。
「ひとたび太陽が東天に昇れば、その大光は遍く全世界を照らす。同様に日本に聖誕された大聖人の『太陽の仏法』は、全地球の全民衆を赫々と照らし、妙法の大慈悲の光を注いでいきます。そして、この大聖人の仏法の世界性、普遍性を見事に証明してくださっているのが、アルゼンチンの皆様の活躍です」