連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第9回のテーマは「心の財」です。
【あらすじ】1977年(昭和52年)3月12日、壮年、婦人の代表が参加して、第2回となる福島文化会館の開館記念勤行会が行われた。終了後、山本伸一会長は、20人ほどの代表幹部と懇談。壮年幹部からの“炭鉱が閉山となり、職探しをしているメンバーを、どのように激励すればよいか?”との質問に対して、全力で答えていく。
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「炭鉱に勤めていた人だけでなく、関連会社の人や、商店街など、多くの方々が、転職などを余儀なくされ、大変な思いをされたことでしょう。
大変な人生の試練の時であればこそ、強盛な祈りが大事なんです。大聖人が『湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書1132ページ)と言われているように、魂を込めて、必死に唱題し抜くんです。
祈れば、福運を積めます。大生命力が涌現し、智慧が湧きます。そして、その智慧を絞り抜き、考えに考えて、果敢に行動を起こしていくんです。ただ祈ってさえいれば、どこからか、いい仕事が降って湧くように思っているのは間違いです。
何か仕事を始めるにしても、アイデアが大事です。また、人脈等を駆使しなければならない場合もあるでしょう。ともかく、『強盛な祈り』と『懸命な思索』と『果敢な行動』で、事態を開いていくんです」
「はい!」
質問した壮年は、伸一の指導を、全身で受け止めるように、大きな声で答えた。
伸一は、気迫にあふれた声で言った。
「学会員ならば、師子ならば、何があっても信心の確信と満々たる生命力にあふれ、挑戦の気概に燃えていなければならない。つまり、元気で、生命が輝いていることが大事なんです。生命の光彩こそが、人生の暗夜を照らす光なんです。福光なんです」
伸一は、「大切なのは生命力ですよ。わかりますね」と、確認するように言い、壮年の反応を見ながら、言葉をついだ。
「人間は、仕事がなくなってしまえば、落胆するし、ましてや、先が見えない状況になれば、無気力になったり、心がすさんでしまったりしがちです。
その時に、生命力にあふれ、元気に、勇んで挑戦しようとする姿は、人びとに、かけがえのない勇気を与えます。勇気は、波動していきます。また、学会員の前向きで元気な、生き生きとした挑戦の姿は、仏法の力の証明になります。宗教の力は、人の生き方にこそ、表れるものなんです。
転職して、新しい仕事に就くとなれば、炭鉱での技能や経験は生かされない場合が多いでしょう。それだけに、挑戦心に富み、元気で、粘り強く、はつらつとしていることが大事になります。企業側も、悲観的で無気力な人を雇おうとは思わないものです。
つまり、厳しい状況になればなるほど、磨き鍛えてきた生命という“心の財”は輝いていくんです。閉山だろうが、不況だろうが、“心の財”は壊されません。なくなりもしません。そして、“心の財”から、すべてが築かれていきます。
いわば、逆境とは、それぞれが、信心のすばらしさを立証する舞台といえます。
人生の勝負は、これからです。最後に勝てばいいし、必ず勝てるのが信心です。
苦闘している皆さん方に、『今の苦境を必ず乗り越えてください。必ず勝てます。勝利を待っております』と、お伝えください」
●御聖訓「ただ心こそ大切なれ」
ここでは「心」の大切さについて確認します。
日蓮大聖人は、門下の四条金吾に“祈る姿勢”を教える際、「ただ心こそ大切なれ」(御書1192ページ)と仰せになっています。これは、“この仏法を信じて、強盛に祈ってこそ、かなう”ことを伝えるために教えられている御文です。
また、大聖人がおられる身延から遠く離れた佐渡の地に住み、大聖人にお会いできない女性門下に対しては、「あなたの身は佐渡の国にいらっしゃいますが、心はこの国に来ています」(同1316ページ、通解)と励まされています。
そして、直接、顔を会わせることはできなくても、その真心は十分に大聖人に伝わっているとされて、「心こそ大切に候へ」(同ページ)とつづられています。
他にも大聖人は、「神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候」(同1186ページ)、「さいわいは心よりいでて我をかざる」(同1492ページ)等々、さまざまな御書の中で“心の大切さ”を強調されています。
池田先生も、「信心は『心』で決まる」「大事なのは『心』である。うわべではない」と語られています。
仏法では「一念三千」の法理を説きます。人間は心一つで自身も環境も大きく変革していけます。この自身の心(=一念)の変革こそが根本なのです。
●人生の明確な価値基準
日蓮大聖人は四条金吾に送られた「崇峻天皇御書」で、「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)と仰せです。
「蔵の財」とは物質的な財産。「身の財」とは健康や身に付けた技能など、身に備わる財産を意味します。
これに対して「心の財」とは、いかなる試練にも負けない生命の強さや輝きであり、人間性の豊かさです。また、三世永遠にわたって、崩れることのない福運ともいえます。
この「心の財」は、信心の実践によって得られます。さらには「心の財」を積むことで、「自他共の幸福」を願う生命が呼び覚まされます。この「心の財」こそ、人生において最も重要であるとの価値基準を、大聖人は明確に示されたのです。
“何のために生きるのか”という人生の根本目的を見失えば、結局はわびしい一生となってしまいます。反対に、「心の財第一」で生き抜く人は、「蔵の財」「身の財」の価値を正しく生かしていくことができるのです。
池田先生は語っています。
「『蔵の財』や『身の財』は、時とともに移ろいゆくものだ。三世永遠の妙法を受持して積み上げた『心の財』だけは、決して崩れない。ゆえに、わが創価の同志こそ、一閻浮提で最も『心富める人』なのだ」