永遠なれ創価の大城

〈随筆 永遠なれ創価の大城 池田大作〉31 五月の空に栄光の虹 2018年5月10日

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世界に鳴り響け広布大願の鐘
皆で最高に楽しき婦人部総会を!
若葉がまぶしい東京・千代田区西神田の街角。戦後間もない頃、この一角に草創の学会本部があった(4月30日、池田先生撮影)

 「創価学会の日」の五月三日、本年は「創価学会母の日」の制定から三十周年である。
この日は予報を覆して雨が上がり、清々しい天気となった。妻は「婦人部の皆さん方が祈ってくださっているおかげですね。総本部へいらっしゃる方々や役員の方々も、雨に濡れないで良かったです」と微笑んでいた。
祝賀の朝、妻と共に総本部の周辺を車で回りながら、広宣流布大誓堂へ向かった。
「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊に勤行・唱題し、世界の全同志の健康長寿と無事安穏、そして幸福勝利を強盛に御祈念した。
この三月、七十五万人を超える若人が集った世界青年部総会で“勝ち鬨”を上げた勢いのままに、随喜の連帯は大きく広がり続けている。日本中、いな世界中から、歓喜踊躍の勝利と功徳の体験がいやまして寄せられる。
日蓮大聖人は、苦難を勝ち越えゆく門下の報告を心から喜ばれた。
「なによりも承りて・すず(爽)しく候」(御書一一七五ページ)。何よりも爽快である、と。
この仰せは、今年も五月三日の「栄光」の山に登り立った創価家族一人ひとりへの御照覧と、私には拝されてならない。
五月三日の空には虹も出て祝ってくれた、との心弾む報告も、地元・信濃町をはじめ千葉や富山など各地からいただいた。
大聖人は、十方の諸仏が法華経を「真実なり」と讃えた光景を、「無量無辺の虹の虚空に立ちたらんが如し」(同三五九ページ)とも表現されている。
太陽の母たちの婦人部総会も始まった。あの地この地に、七彩に輝く「栄光の虹」「友情の虹」「希望の虹」「幸の虹」「福智の虹」「和楽の虹」「平和の虹」が楽しく立ちのぼりゆくよう、妻と題目を送り続けている。

七つの鐘を共に

 法難の投獄を勝ち越えられた戸田城聖先生が、戦後、直ちに学会再建の城を構えられたのは千代田区の西神田であった。
この忘れ得ぬ旧・学会本部があった地域を、先日(四月三十日)、久方ぶりに訪れた。恩師が会長就任に先立ち創刊された聖教新聞を、「日本中の人に読ませたい!」との思いで、私が自ら配って歩いた縁の地でもある。
神田一帯をはじめ千代田の同志のはつらつたる様子も、嬉しく伺った。
恩師の師子吼が蘇る。
「私は自分のからだ全体を学会のなかに投げ出し、世の苦悩の民衆のなかに葬ると決意したのである。この決意の日が、昭和二十六年五月三日であったのである」
その日、第二代会長に就任した戸田先生が烈々と宣言されたのが、弘教七十五万世帯という広宣流布の誓願であった。
以来、不惜の大闘争の「七歳」を重ね、誓願を一切成就なされて、先生は霊山へ旅立たれた(昭和三十三年四月二日)。
その直後、すなわち六十年前の五月三日、墨田区・両国の東京スタジアム(後に日大講堂)での春季総会で、私は「七つの鐘」の構想を訴えた。
――学会は創立以来、七年を節として前進のリズムを刻み、恩師と共に、我らは第四の鐘を鳴らしてきた。そして今、第五の鐘となる新たな七年の幕が開いた。さらに第六、第七の鐘を打ち、広布を実現しよう――と。
私は、いかなる試練にも屈せず、師匠から永遠に広宣流布の「魂の炎のバトン」を受け継ぐ弟子の誓いを、「七つの鐘」に託したのである。
現在、我らは二〇〇一年にスタートした「第二の七つの鐘」を高らかに打ち鳴らしながら、世界広宣流布の大道を、威風も堂々と進んでいる。
この「第二の七つの鐘」が鳴り終わるのは、西暦二〇五〇年――二十一世紀の中間であり、学会の創立百二十周年だ。
その時、仏法の人間主義の哲学が、どれほど世界を照らす太陽と輝き、我ら創価の大連帯が、どれほど人類の平和の柱と仰がれていることか。私の胸は熱くなる。

少人数に力あり

 今年は、婦人部の「グループ」の発足から四十周年である。少人数での学習や懇談を積み重ね、妙法の功徳を広げてきた。
小さな語らいの場が、いかに大切か――。
私が関西の不二の同志と新たな民衆運動の波を起こしていた同じ頃、アメリカでは、かのキング博士を中心に「公民権運動」が拡大していた。
その渦中、一人の高名な歌手が、キング博士をはじめ運動のリーダーを自宅に招き語り合った。
学会活動の輪に飛び込んで活躍する、わが芸術部の宝友と重なり合う、この女性、マヘリア・ジャクソンは、小さな語らいの場に加わった感動を語っている。
「私が今まで生きてきたのはアメリカ黒人のための新しい夜明を見るためだったということ、歴史がまさに作られようとしているのだということを実感した」と。
キング博士の盟友であった歴史学者のハーディング博士も、「一対一の対話」を重視され、私に強く語られていた。
「どんな小さな集まりも、互いを知り、理解し、意見を交換するなかで、思いもよらない、新たな変革の可能性への道を見いだしていくことができるものです」
日常的に顔を合わせて、語り、対話し、励まし合う絆。これこそ、何よりも豊かな「価値創造の場」ではないか。
戸田先生は、「座談会は大聖人の仏法の会座である。慈愛に満ちあふれた、この世でいちばん楽しい会合であるべきだ」と言われた。
「グループ」のモットーには、「皆で語り 皆で学び 皆が創価の幸福博士に!」とある。
喜びあふれる婦人部総会を、壮年部も青年部も真心から応援しよう!

“達者に”と祈る

 今年は「地区婦人部長」制がスタートしてからも、二十周年となる。
職業も、年代も、生活環境も異なる多彩なメンバーが集い合う創価家族のお母さんであり、「地域の幸福責任者」である地区婦人部長の毎日が、なんと忙しいことか!
小さなお子さんがいる婦人部長もいる。働きながら賢明に時間をやりくりし、活動に励む方もいる。「無冠の友」として朝一番から地域広布に走る人も多くいらっしゃる。
気高く、尊き母よ、お体を大切に、達者に、と深く祈る日々である。
大聖人から「日蓮よりも強盛の御志どもあり」(御書一一二六ページ)と讃えられた日眼女への御聖訓を拝したい。
「頭をふればかみ(髪)ゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(同一一八七ページ)
経済苦や病気、介護、家庭の問題……現実には幾つも悩みがあろう。
だが、一念を定め、題目根本に課題に挑む時、苦しみも悲しみも越え、必ず充実と歓喜の人生が開ける。思ってもみなかった大福徳に包まれる。
これが「変毒為薬」の妙法であり、日蓮仏法の真髄である。
広布の前進を守る幾多の諸天善神は、我らの決定した一念で呼び起こしていくものなのだ。

夢をつなぐ物語

 「女性輝く」と見出しが躍る「グラフSGI」(五月号)の表紙写真は、ニュージーランドの湖畔に咲き誇るルピナスの花園である。「いつも幸せ」という花言葉の如く、喜びの楽園のようだ。
「ルピナス」といえば、アメリカの作家による美しい物語がある。
一人の少女が、おじいさんから「世の中を、もっとうつくしくするために、なにかしてもらいたい」と夢を託される。
彼女がその夢を遂に実現する時が来たのは、年配となってからであった。自らの移り住んだ村に「ルピナス」の種を蒔いて歩き始めたのである。
彼女をあざ笑う人もいた。だが翌年の春、村はルピナスの花に包まれ、皆が喜びに輝いた。
まさに、おじいさんとの約束通り、「世の中を、もっとうつくしく」したのである。
そして「ルピナスさん」と呼ばれて慕われる彼女は、その夢のバトンを、一人の幼い少女に託すのである。
わが同志の日々の奔走も、「世の中を、もっとうつくしくする」夢を、世代を超えてつないでいく物語といえまいか。
「今日も元気で」の歌の通り、薫風の如く、使命の天地を走りながら、対話を通して「仏の種」を蒔き、自他共の幸福と平和の園を広げていく。まさに、創価の母たちの慈折広宣流布の行動そのものではないか。
その姿は生死を超えて、後継の生命に躍動していくのである。

「七つの鐘」の構想を発表した、六十年前の春季総会で、私は恩師の「学会は宗教界の王者なり!」との大宣言を胸に、千日尼への御聖訓を同志に贈った。
「此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(御書一三一〇ページ)
わが友よ、地涌の青年たちよ、今再び、師子王の如く恐れなく、大鷲の如く自在に、新たな広布の旅に出発しよう!
そして、前進勝利の鐘を打ち鳴らし、創価の宝の母たちに最敬礼して、感謝の心を捧げようではないか!
(随時、掲載いたします)

 引用の出典は『マヘリア・ジャクソン自伝』中澤幸夫訳(彩流社)、B・クーニー作『ルピナスさん』掛川恭子訳(ほるぷ出版)。