永遠なれ創価の大城

〈随筆 永遠なれ創価の大城 池田大作〉32 行学錬磨の大道 2018年6月10日

楽しく学び語れ世界最高の哲学
全人類の幸福と平和の実現のために!
 
民衆凱歌の都・江戸川に立つ東京国際池田記念講堂――。ここは地域に開かれた信頼の灯台、広布源流の誉れの宝城(6日、池田先生撮影)

 梅雨の晴れ間となった昨日(九日)の午前、新宿の紀伊國屋書店の前を車で通った。
 そこで目に飛び込んできたのは、近日発刊となる小説『新・人間革命』第三十巻(上巻)の懸垂幕であった。ご支援くださる皆様方への感謝は尽きない。最終章の連載に、さらに全力を尽くそうと決意した。

先師の誕生日に

 六月は、“創価の父”牧口常三郎初代会長のご生誕の月である。
 先生は、こよなく青年を愛され、一生涯、青年の気概で戦い抜かれた。
 軍部政府による投獄の前年(昭和十七年)には“広宣流布は青年のリードによらねばならない”と語り残されている。
 牧口先生のお誕生日の六月六日、私は、この偉大な先師の闘魂を胸に、青春の広宣拡大の大地・江戸川区へと走った。
 初訪問となった“国際講堂”は、同志の真心で美しく光り、館内の記念展示には、“江戸川は「信心の横綱」なり”との誇りが漲っており、本当に嬉しかった。
 江戸川家族は聖教新聞の拡大でも、任用試験の受験推進でも、模範の実証を示してくれている。
 講堂で勤行をし、六十五年前、男子部の第一部隊で共に歴史を創った、江戸川をはじめ墨田や江東などの忘れ得ぬ宝友たちにも題目を送った。
 当時、町工場で深夜まで働く友が多かった。十分に学校に行けなかった友もいる。皆、悩みを抱えながら懸命に奮闘する若者たちだった。
 二十五歳の私自身も、病気との闘いが続いていたが、意気は高かった。――世界の民衆を牽引するのは、ひとえに我ら青年だ。その指導原理となる生命尊厳の大哲理を、今こそ学び語り、広げようではないか――と。
 私は同志と集まるたびに、声に出して御書を拝読することから始めた。
 「着実に、あきらめず、コツコツやろうよ」
 粘り強く教学を学ぶ中で、一人ひとりが自らの尊い使命に目覚め、胸を張って立ち上がっていった。それぞれの新たな可能性を引き出しながら、自信と確信をもって対話に打って出たのだ。
 皆が「行学の二道」に励む中で、第一級の青年リーダーの力をつけていった。わが陣営は三百三十七人から出発し、一年間で目標の千人を優に超す地涌の丈夫のスクラムを築き上げた。
 これが、“青年学会”の大いなる推進力となったのである。
 ◇
 六日の帰途、雨の中、旧江戸川を渡って、浦安平和会館へ向かった。
 牧口先生が市川で行われた座談会や鎌ケ谷での講演会などに臨まれ、千葉に転教された率先の足跡が偲ばれた。
 会館では、婦人部の方の紹介で二組の入会記念勤行会が行われていると伺い、車中から合掌し、いよいよ、ご多幸の人生を、と祈った。
 女子部の時代に千葉へ幾たびとなく通った妻が、微笑んで言った。
 「今日は『関東婦人部の日』ですね」と。
 先日の「関東総会」の大成功を重ねて祝福するとともに、埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木の「敢闘精神」の大行進を讃えたい。

仏法求道の喜び

 私たちが勤行で読誦する法華経の方便品には、「諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり」(創価学会版法華経一〇六ページ)とある。
 この仏の難解にして深遠なる智慧も、「南無妙法蓮華経」の一法に納まっている。その大法を末法の一切衆生――全人類に開き示してくださったのが、御本仏・日蓮大聖人であられる。
 この日蓮仏法を学ぼうと、全世界で求道の友が研鑽の汗を流している。
 特に今月十七日、日本全国で行われる「仏法入門」の任用試験を目指して、新入会の友や会友の方々をはじめ、多くの友が真摯に学ばれている。何と尊いことか。
 受験する方はもちろん、共に学び、応援してくれる全ての同志に、心から感謝を申し上げたい。
 法華経の随喜功徳品には、法華経を聞いて随喜する功徳の大きさが説かれている。有名な「五十展転」である。
 歓喜の信心に立ち上がった一人が、その喜びを友に伝え、その友がまた歓喜して別の友に教え、また次の人へと伝わり、やがて喜びの波動は五十人目に至る。
 この最後の人の功徳でさえ、無量無辺であると示されている。
 妙法を「語る功徳」「聞く功徳」が、いかに偉大であることか。その意味からも、教学試験の研鑽を通して、仏法を語り、教える人の功徳も、それを聞き、学ぶ人の功徳も、どれほど大きいか計り知れない。
 仕事や家庭など、多忙な生活の中で時間を工面しての学び合いである。どうか、その一分一秒に、大いなる随喜あれ、絶大なる福徳あれと願わずにはいられない。

希望の門を開く

 今や平和と人道の哲学の連帯は、地球社会に希望を広げている。
 牧口先生の誕生日前日の五日には、「世界の青年へ」と呼びかける声明を、アルゼンチンの人権運動家でノーベル平和賞受賞者のエスキベル博士と共同で発表した。その舞台は、「永遠の都」ローマである。声明に呼応して潑剌たる青年たちの集いも行われ、私は胸を熱くして見守った。
 「欧州師弟の日」にあたる六日、小説『新・人間革命』の挿絵は、奇しくも、そのローマの街並みであった。
 声明で光を当てた通り、国際社会が取り組んでいる「SDGs(持続可能な開発目標)」の推進にあって、根幹をなす指針は「誰も置き去りにしない」との一点である。そのための行動を力強く支える哲学が、今こそ求められている。
 なかでも注目されているのがFBO(信仰を基盤とした団体)の役割である。「誰も置き去りにしない」精神とは、まさしく宗教者にとって日常的な信仰実践そのものであるからだ。
 大聖人は「一切衆生皆成仏道の法華経」(御書九九ページ)と仰せになられた。牧口先生も御書に線を引かれていた一節である。
 釈尊が法華経を説いた究極の目的は、万人成仏である。全ての人に尊極の生命が具わり、それを開き、顕すことができることを教えたのだ。
 今回、同志が「冬は必ず春となる」(同一二五三ページ)の一節と共に学ぶ御抄には、法華経方便品の「若有聞法者無一不成仏(若し法を聞くこと有らば 一りとして成仏せざること無けん)」(同ページ)との文がある。
 一人ももれなく幸福にするのだ!――世界の人びとが求めてやまない、万人の尊厳性と可能性を解き放つ「希望の門」が、ここにある。
 「仏法入門」の研鑽は、「世界市民」の精神性の錬磨へ、そして人類のレジリエンス(困難を乗り越える力)の拡大へ連動しているといってよい。

行者とは何ぞや

 牧口先生が使用されていた御書には、「行者とは何ぞや」との書き込みが残されている。
 思索を重ねられた一つの結論として、先生は「自分ばかり御利益を得て、他人に施さないような個人主義の仏はないはずである。菩薩行をせねば仏にはなれないのである」と語られている。
 御書を繙くと、「法華経の行者」という言葉が、優に三百カ所以上、確認できる。大聖人がいかに「行」(修行・行動・実践)を重んじられているかが拝されよう。
 今、嬉しいことに、四日が記念の日である華の女子部は華陽姉妹の「御書三十編」を学びつつ、信頼と友情の対話を朗らかに広げてくれている。 牧口先生の誕生日の翌日(七日)が結成記念日の高等部も、教学に挑み、成長する姿が凜々しい。
 結成の日(三十日)を目指す英知の男女学生部も、いやまして御書を拝しながら、人材の育成に、弘教の拡大にと、にぎやかだ。
 「行学の二道」に徹するのが、創価の伝統である。
 ◇
 恩師・戸田城聖先生は、御書の研鑽を“剣豪の修行の如き鍛錬”と譬えられた。
 その峻厳さと共に、「楽しく信心して、楽しく折伏して、楽しく教学の勉強をしていってもらいたい」と、温かく励ましてやまなかった。
 ――我々は何のために生まれてきたのか。それは、法華経に「衆生所遊楽(衆生が遊楽する所)」とあるように、遊びに来たのだ。御本尊を信じきった時に、生きていること自体が楽しいという人生になるのだ、と。
 悩みや困難が何もない人生などない。そうではなく、いかなる困難も逆境も、全てを悠々と乗り越えゆく「勇気」「智慧」「生命力」を無限に湧き立たせていく。そのための信仰である。「人間いかに生くべきか」という根本の道を学び、自らの最高の人格を輝かせていくための教学である。
 その一番の体現者こそ、婦人部総会を笑顔爛漫の大成功で終えた“太陽の母たち”である。
 今日(十日)は、白ゆりの香りも高き「婦人部の日」。皆で最大の尊敬と感謝を捧げたい。
 文豪ゲーテは、「いま大事なのは、ほめられるとか、けなされるとかいうことではなく、学ぶことなのだ」と言った。
 毀誉褒貶の世を見下ろし、不退の先師・恩師に連なる我らは、学び、進もう! 行動しよう!
 行学錬磨の大道――人間として最高に誉れある青春と人生が、ここにあると確信しながら!
 (随時、掲載いたします)

 ゲーテの言葉は『ゲーテ全集8』所収「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」登張正實訳(潮出版社)。

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