池田先生ご指導

一回や二回、一日や二日ぐらい、勤行がおろそかであっても大した影響はないのではないか、と考えている人はいないでしょうか。それは、大きい落とし穴に気づいていない、愚かな態度です。そこに魔が食い込み、ぐんぐん仏界から遠ざけていくのです。

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白馬の鳴き声にたとえて、題目の偉大さを明かした説話です。題目は、生命力と福運と知恵の源泉です。五座三座の勤行を続けている人は、血色もよく、肌に生気があり、生へのエネルギーが満ちあふれ、生活に軽快なリズムが満ち、賢明な人生が送れることは、御書の原理に照らし、疑いありません。
しかし人間というものは、よいとわかっていても、なかなかそのとおりに実行しないものです。すぐに惰性に陥ったり、法を見くびったり、油断から障魔に負けてみたりというように、持続の実践はむずかしいものです。

一回や二回、一日や二日ぐらい、勤行がおろそかであっても大した影響はないのではないか、と考えている人はいないでしょうか。それは、大きい落とし穴に気づいていない、愚かな態度です。そこに魔が食い込み、ぐんぐん仏界から遠ざけていくのです。
生命力もなくなり、打つ手、打つ手が裏目に出る。家庭にも暗さやいさかいがしのびより、社会、友人関係でも低く見られて、気持ちがひゃくひゃくする。病気になる。そういったことも、結局は、生命のリズムが妙法から崩れ出したあらわれであり、その過程、もしくは結果です。
勤行は、生命のリズムを整え、その好調度を日々に強め維持する原動力であることを再確認しておきたいものです。ところで、今、あなたの生命のリズム、生活のリズムはいかがでしょうか。