日蓮大聖人の仏法は宇宙大である。その信仰者である私どもも、「大きな心」に、あの友、この友を容れ、人を大切にし、家族を大切にし、ともに人生を楽しみながら、すばらしい、大いなる人生を生きてまいりたい。
もちろん、悪に対しては徹底して厳しく戦わなければならない。
そのうえで、友には寛大に、人の幸せを考えてあげる余裕のある人であっていただきたい。
ああ、あの人は病気だ。あの人は経済的に悩んでいる。なんとか激励してあげよう--そう思い、祈り、動いてあげられるのが仏法者である。かりに自分は苦しくても、人には喜びを与える。その人が菩薩である。
自分は何があっても大丈夫だ。自分は心配ない。それよりも、あの人を救おう。あの人に希望を与えよう。そういう「大きな心」の自分自身になっていただきたい。
それが仏道修行である。この修業の山を登れば、必ず、盤石な福運が生命に積まれていく。
「皆から学ぼう」という余裕を持っていただきたい。
「あの人の信心は立派だ。学ぼう」「あのひとの家庭生活は素晴らしい、学ぼう」--誰からでも学ぶものがある。
常に学ぶ謙虚さは、その人の大きさの表れである。
とくに、リーダーは、組織の立場が上というだけで、なんでも自分が偉いように慢心してしまう。
そういう傾向がある。そして、いばったり、立派な人を下に見たりする。それでは人々が離れる。自分の福運も消してしまう。