強盛な信心で妙法の功力を現す
今月から2回にわたり、「観心本尊抄」を学びます。
池田先生は、御本尊について次のように語られています。
「自分が幸福になるための御本尊です。万人を幸福にするための御本尊です。日蓮大聖人が遺された太陽の仏法の功徳を、全世界の人々が満喫していくために戦うのが、創価学会の使命です」
私たちが日々、拝している御本尊の意義を学び、信心の喜びと確信を胸に対話を広げていきましょう。(今回の拝読範囲は、御書238ページ冒頭~247ページ8行目です)
本抄は、文永10年(1273年)4月25日、日蓮大聖人が52歳の時、佐渡流罪中に一谷で認められ、門下の富木常忍に与えられた重書です。
この前年2月、大聖人は佐渡の地から門下一同に宛てて「開目抄」を送られています。大聖人御自身が末法の御本仏であることを示された重書が「開目抄」であるのに対し、本抄は、末法の衆生が成仏のために受持すべき南無妙法蓮華経の御本尊について明かされています。本抄は、前半で「観心」について、後半で「本尊」について述べられます。
観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり、譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し(御書240ページ1行目~3行目)
「観心」とは「わが己心を観じて自己の生命に具わっている十法界を見ること」である。
例えば、他人の目・耳・鼻・舌・身・意の六根を見ることはできても、自分自身の六根を見ることができなければ自身に六根が具わることがわからない。明鏡に向かってはじめて自分の六根を見ることができるようなものである。
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う(御書246ページ15行目~16行目)
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足している。私たちは、この妙法蓮華経の五字を受持すれば、おのずと釈尊の因果の功徳を譲り与えられるのである。
「観心」とは、自身の心を見つめていく仏道修行をいいます。御文①で日蓮大聖人は、「観心」とは、自身の心に具わる十界を見ることであると仰せです。しかし、例えば人が、自分の目や耳や鼻などの外見を見ることができないように、自身の生命に具わる十界を見ることは困難です。
自分の外見を見るために鏡が必要となるのと同じで、自身の生命の十界を見るためには、わが生命をありのままに映し出す“明鏡”が必要となります。大聖人は、その明鏡こそが、「法華経」であり、天台大師の「摩訶止観」などであると本抄で仰せです。
天台大師は、観心の修行を明かした「摩訶止観」において、法華経の教えに基づき、「一念三千」を説きました。
これは、私たちの瞬間瞬間の生命(一念)に、三千世間、すなわちあらゆる現象・働きが具わっていることを見る(観察する)というものです。一念三千は十界互具を踏まえています。一念三千を覚知することは、己心に仏界を見る、すなわち胸中の仏界を現すことでもあります。一念三千は一切衆生の成仏の裏付けでもあるのです。
しかし、観心の修行は優れた能力を必要とし、誰もが実践できるものではありません。そこで大聖人は、御自身の生命に成就された一念三千を南無妙法蓮華経の御本尊として顕されました。この御本尊を受持し、題目を唱えることを、末法における成仏の修行とされたのです。
末法の衆生にとって、南無妙法蓮華経の御本尊を受持する実践が、観心、すなわち成仏の修行となります。このことを「受持即観心」といいます。こうして万人成仏の大道が開かれたのです。この受持即観心を教えているのが御文②です。
大聖人は、釈尊が成仏のために実践したあらゆる修行(因行)も、その結果として得た仏の福徳(果徳)も、全て「妙法蓮華経の五字」に具わり、私たちは南無妙法蓮華経の御本尊を信じ、題目を唱えることによって、その仏の因果の功徳を譲り受けることができると仰せです。大事なことは、御本尊の偉大な功力を引き出すのは、受持する人の「信心」であるということです。
何があっても御本尊を信じ抜き、題目を唱える強盛な信心によって、どんな悩みも、宿命も乗り越えていくことができます。日々、唱題根本に「行学の二道」に前進していきましょう。
戸田先生は、第2代会長就任式で、烈々と師子吼されました。
――「今日の広宣流布」とは、使命に立ち上がった一人一人が「国中の一人一人を折伏し、みんなに御本尊様を持たせること」であり、それは“一対一の膝づめの対話”によって成し遂げられる――と。
(中略)
一人の生命が尊厳であるからこそ、一人また一人と御本尊を受持させるのです。誰一人、差別していい存在はいない。皆、尊い使命をもって生まれてきました。
御本尊の功力は平等です。仲介者もいりません。大事なことは信心です。「観心の本尊」とは「信心の本尊」なのです。一人一人が、自身の境涯を開き、自身の生命の宝塔を最高に輝かせゆくために、御本尊があるのです。(2017年9月号「大白蓮華」に掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)
○…2017年9・10月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」〈民衆仏法〉㊤㊦(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第2巻所収の「御本尊」㊤㊥㊦(同)