法悟空 内田健一郎 画 (6447)
山本伸一は、子どもたちに言った。
「私たちは仏教徒です。ここは仏陀が生まれた国です。仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ちました。あの山々のような人間になろうと頑張ったんです。堂々とそびえる勝利の人へと、自分をつくり上げました。皆さんも同じです。すごいところに住んでいるんです。必ず偉大な人になれます。
みんな、利口そうな、いい顔をしているね。大きくなったら、日本へいらっしゃい」
彼は、この一瞬の出会いを大切にしたかった。心から励まし、小さな胸に、希望の春風を送りたかったのである。
翌四日、伸一は、カトマンズ市内でのネパールSGIの第一回総会に臨み、集った百数十人の友と記念のカメラに納まった。そして「どこまでも仲良く進んでください。一人ひとりが良き市民、良き国民として、『輝く存在』になってください」と激励した。メンバーの大多数は、青年であった。まさに、ヒマラヤにいだかれるように、未来に伸びる希望の若木が育っていたのだ。
ネパールに続いてシンガポールを訪れた彼は、第三回アジア文化教育会議に臨み、シンガポール創価幼稚園を初訪問した。さらに、建国三十周年を祝賀する第一回青年友好芸術祭に出席し、十日夕、香港に到着した。
イギリス領の香港は、一九九七年(平成九年)に中国へ返還されることになっていた。返還は、八二年(昭和五十七年)の中国共産党中央顧問委員会の鄧小平主任とイギリスのサッチャー首相との会談で、現実味を帯び始めていった。
資本主義の社会で暮らしてきた人びとにとっては、社会主義の中国のもとでの生活は想像しがたいものであり、不安を覚える人たちもいた。一時期、香港ドルが急落し、市場が混乱に陥ったこともあった。
“こういう時だからこそ、香港へ行こう! 皆と会って激励しよう!”
伸一は、そう決めて、八三年(同五十八年)十二月に香港を訪れている。