大白蓮華巻頭言

大白蓮華巻頭言 2017年11月号(No.817)

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私は座談会で、師匠とお会いすることができた。
私は座談会で、大仏法を学び、実践してきた。
私は座談会で、愛する同士と一緒に、
日本そして世界へ、広宣流布の拡大を起こしてきた。
私は座談会が、何よりも大好きだ。
法華経の薬王品は、「如清涼池」と説かれる。
すなわち、清らかで涼やかな池は、
渇きに苦しむ人々の心身も満たすことができる。
その池の如くに、妙法には、
生老病死の苦悩から一切衆生を解き放つ、
大功力が漲っているという譬喩である。
”心の砂漠”が広がる社会にあって、
座談会は、集い来る友が、皆、生命を満たし、
蘇生していくことのできる「如清涼池」のオアシスといってよい。
御本仏日蓮大聖人は、明快に宣言なされた。
「仏になるみちは善知識にはすぎず」
「善知識たいせちなり」、そしてまた、
「而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり」(14681ページ)と。
「一生成仏」のために、最も大切であり、
しかも最も値い難き存在が「善知識」だ。
この善知識たる 友と友の集まりこそが、創価の座談会なのである。
悪縁の渦巻く、
泥沼のような現実生活の中で、
常に励まし合い、互いに、幸の人華を咲かせていけるのだ。
何と尊い常楽我浄の会座であろうか。
仏法の本義に則り、座談会という前代未聞の、
民衆の対話運動を創始してくださった、
牧口常三郎先生と戸田城聖先生に、感謝しても感謝し切れない。

この星に
幸と平和の
才アシスを
語り広げむ
地涌の我らは

戸田先生が一回一回の座談会に、
真剣勝負で臨まれていたお姿が、思い起こされる。
司会や式次第、話の内容も事前に、
綿密に打ち合わせをされた。
その上で「形式にとらわれる必要はない。
初めて来た友も、
『本当に楽しい!』『よく、わかった!』と喜ベる、
闊達な雰囲気をつくっていこう」と言われた。
座談会は参加者全員が主役だ。
老若男女を問わず、
皆、大地から踊り出てきた、
地涌の名優ではないか!
一人一人が汗と涙でつかんだ体験は、
何ものにも代え難い「人間革命」の感動のドラマではないか!
どんなに悩みを抱え、どんなに疲れ果てていても、
必ず元気になれる。前向きになれる。
勇気が湧いてくる。
これこそが、座談会という幸福劇場なのだ。
今や世界中で、「ザダンカイ」が朗らかに行われている。
あらゆる差異を超え、
地球民族の心に生命尊厳の哲理の火を灯し、
人生や国土のいかなる試練にも負けない、
活力と連帯を生み出しているのだ。
人類が、待望してやまない、
新たな「対話の文明」を創造しゆく無限のエネルギーが、
座談会にはある。
「御義口伝」に日く、
「日蓮らの類い、
南無妙法蓮華経と唱え奉る者は
一同に皆共至宝処(かいぐしほうしょ)なり、
共(ぐ)の一字は日蓮に共(ぐ)する時は
宝処に至る可し」(734ページ)と。
座談会に連なる人は、同志も友人も分け隔てなく、
大聖人とご一緒である。
どこまでも、大聖人と共に、
最極の幸福と平和の「宝処」へ、
皆で明るく賑やかに大行進していこうではないか!