


知恵ある人は障害をも自分の味方にしてみせる。知恵なき人は幸運をも、つまずきの原因にする。 強者にとっては、運命と戦うことすら喜びであり、弱者にとっては、人生そのものが重荷であろう。 全部、自分で決まる。自分の「一念」で一切が百八十度、違う顔を見せてくる。

思うように学会活動ができない時もあるかもしれない。しかし、そこにも「本迹」はある。どんな状況になっても、広布の使命を 果たし抜こうとの決意があれば「本」です。環境に負け、信心を失って、使命を忘れてしまうならば、「迹」になる。

本日の御書 法華経の敵となりし人をば梵天帝釈日月四天罰し給いて皆人にみこりさせ給へと申しつけて候(王舎城事p1138)

「信仰が惰性に陥った時、それはまさしく退転である。 信心は、急速に、そしてよく変わっていくための実践活動である」

御本尊があるではないか。 御本尊を忘れるな! 燃え上がる信心でなければ、 祈りは叶わない。

信心だけは忘れるな。 全てに必ず勝てるからだ。

「形式ではなく、命を打ち込んで、御本尊にすがりつくのです。命を御本尊に差し上げるくらいの、本当の決意をもった題目ならば、治らないわけがありません」

「商売と信心、折伏を混同してはいけない。それは正しい信心のあり方ではありません。会社では折伏をする必要はない。会社では会社の仕事をして、月給もらえばいいのです。社長は折伏させるために雇ったのではない。」
