池田先生ご指導

釈尊が法華経を説いたことで初めて、あらゆる菩薩、二乗、人界・天界等の衆生の真の成仏の道が開かれました。だからこそ、法華経に恩のある衆生は、その大恩に報いようと、法華経の説法の会座で「法華経の行者を見捨てない」「法華経の行者が苦しんでいたら身代わりになろう」等の誓願を立てます。

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妙法の祈りとは「誓願」です。最も強靭な精神の力です。
祈りが心に満ち満ちているところ、いかなる臆病も、あきらめも、弱音も、入り込む隙などありません。
祈りのとは、「必ず成し遂げる!」という信念です。
「絶対に負けない!」という確信です。
自分には無理だという不信の壁を打ち破り「断じて戦い勝つ!」という究極の勇気なのです。(中略)
では、なぜ、「法華経の行者」の祈りが叶うのか?

大聖人は本抄で、その理由を、法華経に即して述べられています。
釈尊が法華経を説いたことで初めて、あらゆる菩薩、二乗、人界・天界等の衆生の真の成仏の道が開かれました。
だからこそ、法華経に恩のある衆生は、その大恩に報いようと、法華経の説法の会座で「法華経の行者を見捨てない」「法華経の行者が苦しんでいたら身代わりになろう」等の誓願を立てます。
さらに彼らは、釈尊が亡くなる際には、「仏の恩に報いるために『法華経の敵』を打ち倒そう。身命を惜しまずに戦おう」等と、仏の前で誓いを述べます。
すなわち、菩薩も二乗も、人界・天界等の衆生も皆、「法華経の行者」を、どこまでも守護すると誓願を立てているのです。
なればこそ、大聖人は、広宣流布の誓願を貫く法華経の行者の祈りの叶わないことは絶対にないと、断言されているのです。
そこで、私たちにとって大切になるのは、”わが誓願を必ず成就させよ”と、諸天善神をを揺り動かす思いで、強盛に祈る姿勢です。